水車小屋探索の当てが外れて、町内をだらだら移動していたときに見つけた碑。
「陸軍特別大演習記念」と書かれているようだ。
群馬県で陸軍大演習が行われたのは昭和9年11月。
それがどんな演習だったのかは詳しくは知らないが、中学校の社会科の時間にその話を聞いた記憶がある。
大演習では昭和天皇が閲兵式をご覧になり、そのあと群馬県内を巡幸されたのだが、桐生市を訪れたとき先導の警官が道を間違え、訪問先の順番が入れ替わるというミスをしてしまった。現代でもそんなことがあればニュースになると思うが、戦前では天皇陛下は現人神であったわけで、ミスではすまない。先導した警官は責任をとって日本刀で自害を図るという事件に発展した。
当然、昭和天皇はそんなことは望んでいなかったはずだが、世論としては「自害して当然、あっぱれである」といような風潮であったという。
昭和天皇を神格化した戦前の全体主義がどんなものだったかを理解するための事例として、いまでも群馬県の学校では教えられているのではないだろうか。
ふと見ると、畑にキジのつがいが歩いていた。
まだ根気よく探せば水車小屋跡のひとつやふたつ見つかるかも知れないが、もう実存する水車を見つけられる可能性は低く、水車小屋探査はこれで打ち切りとなった。
いつかまた、取りこぼした水車小屋跡を探しにくるかもしれないが、今回のところはこれで帰路につくことにした。
(2007年05月04日訪問)