天引という字は、天引川という川の上流部のわりと広い地域だ。その川をさかのぼるように南下する。
途中、西側の山手に稚蚕飼育所が見えてくる。上田口稚蚕共同飼育所だ。
背後は里山のように見えるが、段丘上はゴルフ場になっている。
鏑川の南岸はゴルフ場が多い。
内部構造はすべて取り外されていて車庫になっていた。
貯桑場は写真手前側。シャッターが取り付けられて現在は出入口になっているところは挫桑室や宿直室だったのだろう。
特徴的なのは、大棟の換気塔にとんがり屋根が載っていることだ。
雨漏りなどがあって、後から取り付けたのだろう。そこだけ材質の色が違う。
小屋組みは木造トラス。柱もあったようだが、切り取られて全体が車庫になっている。
屋根裏は板が張られている。化粧屋根裏天井。
大棟のところにスズメバチの巣があった。
近くで見かけた養蚕農家。
母屋の左半分が養蚕のための空間。明治から大正にかけて養蚕が経営的に儲かった時代、北関東の養蚕農家はしゃにむに飼育量を拡大した。そのため住人が寝食するための部屋でまで、畳をあげて蚕を飼うようになっていく。実質半年のあいだ母屋でまともに生活できない状態になっていったのだ。年配の人はそのころの状態を懐かしく話すこともあるが、住宅の機能としては正常な状態ではない。そのため、この家では母屋の右側に生活するための部屋を増設したのだろう。
西側にはりっぱな「かしぐね」があった。
近くで見かけた別の養蚕農家。
母屋の他に飼育室を建てている。母屋の2階はおそらく蚕に繭を作らせる上蔟室で、飼育室から母屋の2階に直接移動するための渡り廊下が設置されている。
上蔟(じょうぞく)は養蚕の作業でもっとも忙しい工程だ。へたをすれば1日に数百回も階段を上り下りすることになる。少しでも上蔟を楽にするために、養蚕農家では蚕を2階に運ぶための様々な工夫が見られる。
(2008年12月28日訪問)