下日野で蚕糸関係の遺構を探して住民に聞き込みをしたところ、稚蚕飼育所が残っているという情報を得た。
教えられた場所へ行こうとしたが道を間違え、人家と人家の間の狭い私道に入ってしまった。先は行き止まりで、進むことも戻ることもできず、10分くらい切り返しをして辛くも脱出。
結局、飼育所は地守神社の入口にあった。最初から、神社の入口だと言ってくれれば迷うこともなかったのだが。
神社の参道側には地下の貯桑室への入口がある。
通常、稚蚕飼育所では配蚕口がもっともアクセスしやすい場所にあるものなのだが、この飼育所では配蚕口へのアプローチ方法が存在しないようだった。飼育所が廃止されたあと道路の法面が改修されたのかもしれない。
建物の西側にかなり急なスロープがあり、作業者の出入り口になっているようだった。
この狭さではここから配蚕はできなかっただろう。
階段ではなくスロープなので、雨の日にすべりそうだ。
スロープを登りきったところ。
流し台がある。ここで手を洗ったりしたのだろうか。
流し台側から室内をのぞいてみた。
倉庫に使われているようだ。小屋は軽量鉄骨で、屋根はスレート波板葺き。
建物の反対側に廻ってみた。こちらからは飼育室の様子がよくわかる。
見たところブロック電床育のようだ。群馬県県西でよくある土管の通気孔を持った土室風のブロック電床育であろう。
床を見ると溝が掘ってある。これまで見てきた飼育所では見たことがない設備だ。
排水溝、もしくは、加温のためのスチーム管ではないかと思う。正治首藤稚蚕共同飼育所にあった設備と似ている。
トイレは別棟になっていた。
これまでに見たことがない火鉢。養蚕専用の用具なのか、代用品なのか。
この飼育所は、私がこれまで見た群馬県の飼育所で最も南に位置する飼育所である。その作りは、若干不思議な点はあるにしても、富岡、甘楽、藤岡の飼育所のフォーマットと大きくは違っていなかった。
これより南、あるいは神流川エリアに、まだ飼育所が見つかる可能性はあるが、おそらく埼玉県境までの飼育所の形態は群馬県南西地域と同じではないかという気がする。
(2013年08月27日訪問)