カレン州の州都、パアン郡区パアン市、人口は42万人。仕事で1ヶ月滞在したといっても、平日はほとんど職場で仕事をしていたので滞在期間が長かったわりにあまり多くの場所を歩き回ることはできなかった。
カレン州というと、少数民族の武装勢力 KNLA が2011年までミャンマー軍と戦闘を続けた地域である。有名な日本人傭兵の高部正樹もKNLAの戦いに2度参加しているようだ。停戦から2年が過ぎているとはいえ、どんな場所なのか少し心配だったが、山岳地域から離れたパアン市には戦争の爪痕は感じられなかった。
パアン市の行政施設がある地区のカンターヤ湖。職場の近くだった。
公園なのだが平日だからなのかあまり人がいない。湖に屋根付き橋がかかり、背後にはズェガビン山とそれに連なる山系が見渡せる、パアン市で随一の風光明媚な場所である。
この王冠のような形の山が、カレン仏教の聖地、ズェガビン山だ。だいたい朝は朝霧のせいでシルエットが霞んで見える程度だが、昼過ぎから午後になると市内からもくっきり見えるようになる。
よく見ると山頂にパゴダが見える。この場所から山までは直線距離で6~7kmくらい、山頂の標高は500mくらいではないかと思う。壮大な景色だが意外に近い。
山塊は石灰岩でできていて、びょうぶのように薄っぺらい。パアン市方面からみるとびょうぶを横からみた状態になるのでこのような形に見えるのだ。
パアン市は、AH1という日本でいえば国道1号線みたいな道路に沿って市街が形成されている。
「AH1」とは 「Asian Highway 1号線」の略だ。西はブルガリアまで続いており、東の起点はなんと東京の日本橋である。
この道路の果てが日本まで続いているのかと思うと、なんだか感慨深い。ここから東へ数時間走ると、タイの国境である。
一番大きなマーケットは、市街地の北部の時計塔の周辺にある。
私がいま住んでいる群馬県の某地方都市では店街はシャッターが閉まり、たいした食べ物屋もなく、郊外のホームセンターに多少買い物客がいる程度だ。なのに、パアン市のマーケットの店の多さや活気には驚くばかりである。タイ国境からの人や物の往来のためだろうか。
パアン市で見かける交通機関は、
- 長距離バス(これは普通の観光バスだ)
- トラックバス(荷台に乗る)
- 三輪タクシー(写真)
- バイクタクシー(オートバイに二人乗りする)
- サイッカー(自転車のサイドカー)
だ。通常の自動車のタクシーはまったく見かけない。観光客に比較的お勧めなのは三輪タクシーかと思う。
これはマーケットの前にあった井戸。井戸の前はバイクタクシー乗り場で空車のバイクが溜まっている。
カレン州では水道はまったく普及しておらず、生活水はドラム缶などに汲んでおいて使う。飲み水は20リットルくらい入る蛇口付きポリのボトルの飲料水が配達される。それは日本人が飲んでも大丈夫。
街の公共の井戸はここでしか見かけなかった。
モスク。
ミャンマーのお寺は自分も仏教徒なので臆することなく入っていけるのだが、モスクはよくわからない。
言葉の通じない国だし、一度もモスクに入ったことがない私としては、入るのはやめておいた。
マーケットの中央通り。
両側にはたくさんんのお店が続いている。買い物をする人たちは路上駐車なので、車で訪れるのは大変。
お店は小売店というよりは、問屋のような店が多かった。もちろん小売りもしている。
左側にみえる大きな建物は、ショッピングセンター。
このショッピングモールはミョーマ市場といい、貴金属、電気製品、日用品、衣料品などの小売店がたくさん入居している。
一階を入ったところにある電気街。
あっ、仏像の光背売ってる!
ちょっと勇気を出して値段をきいてみればよかった。
光る仏具や、光る仏画など、かなり興味深い商品が並んでいた。
二階は主に衣料品。
ここでロンジーを購入。
ロンジーとは、ミャンマーの現地の人がはくスカート状のボトムズ。女性だけでなく男性も普通に着用している。いろいろなタイプがあるが、この店はミャンマーの伝統柄をそろえていた。
値段は数百円から良いもので千数百円くらい。
外国人が身に付けてもOKで、私も職場に何度かはいていった。
ロンジーは男女で造りが違う。
男物は単なる筒状に仕立てられていて、フリーサイズ。腰に巻き付け、へその下あたりで絞っておく。正直、慣れないとちょっと着にくい。
女物も筒状の物もあるが、巻き付けかたが風呂上がりにバスタオルを巻くような感じで腰の横に差し込むように止める。だがそれだと時々ずり落ちるので、最近ではヒモを付けて縛るようにすることが多いようだ。同じフロアに仕立屋が入っているので、その場で採寸してすぐに仕立ててくれる。
露天では野菜や果物を売っている。
マーケットは日曜は休みだが、なぜか果物屋だけは日曜も営業していて、休日の買い物に助かった。
原色の冷菓子。
シュエインエーというものだと思う。上に載っているピンクのヒモみたいなのはゼリー、コップの中にはパンが入っていて、食べるときにはココナツミルクを注ぐ。
かなりそそられるのだが、作り置きしてあるゼリーのボウルにはハエが群がっており、ちょっとおなかに自信がないのでやめておいた。朝イチで買えば大丈夫かな。
想像だが、練乳か黒みつが入っていて甘っとろいと思われる。
入口付近には10軒くらいの宝飾品点が並ぶ。ミャンマーはヒスイ、ルビーが有名だが、ここでは金やプラチナなどの貴金属の扱いが多かった。
ミャンマーでは第二次大戦後3回紙幣の廃貨が行われた。市民が持っていた高額紙幣がある日突如紙くずに変わるのである。そのため貴金属の人気は高い。
米屋さん。
量り売りなのだろう。
ミャンマーの食事は、油で煮た肉、魚、野菜を副食として、お米が主食。油で焼いた餅やちまきもお米が原料になる。
花屋さん。というより、郊外の農家から売りに来ている花売りか。
金モールや造花などを売っている店。
中国の旧正月が近かったので、たぶん正月飾りが並んでいるのだと思う。中国系住民ご用達のお店だろう。
これは出家用
ミャンマーの仏教徒は、若いうちに少なくとも1回は仏門に入る。そのときの袈裟などのセットなのだろう。
親戚や知人が贈り物に使うのかもしれない。
托鉢用のハチ。
使いみちはないのだけど、ちょっと欲しい。
これは占い屋。
のれんを見る限りでは手相占いのようだ。こういうビニールシートにカラー印刷したものがミャンマーでは大量に使われている。
ミャンマーでは8つ曜日を基準にした曜日占いがポピュラーだという話も聞いたが。
これは宝くじ屋。
噛みたばこ屋。
キンマという葉に石灰を塗ったものを畳んで口に入れる。唾液は飲み込むと毒なので、路上に吐き出す。
いろいろなトッピングがあり、買うときに好みで調合する。紙巻きタバコとは違って、長くは置いておけないようで、噛みたくなったらこうした屋台で買うようだ。
深紅のロンジーをはいてさっそうと歩いているのは、官営病院の看護婦さんたち。
ロンジーの色によってランクがわかれているとのこと。赤は産婦人科および新人の看護婦さん。新人というくらいなので若い子が多く、やっぱり赤色がいいですな。ランクアップすると青や緑になるらしい。
理髪店。
道を走るぴかぴかの日本車やオートバイ、人々がスマートフォンを持っている点をのぞけば、街の様子は、日本でいえば1960年代くらいだろうか。
道ばたにはゴミがちらかり、道路はまだ未舗装も多く埃っぽい。それでも人々は活気に満ちていて、たばこ屋や駄菓子屋、露店のような小さな商いがたくさんある。日本の同程度の人口の地方都市のさびれ方と比べるとうらやましいくらいだ。
日本でも昭和の成長期には、商店街が人とぶつからずに歩けないほどだったという話もよく聞くので、かつての日本でもこうした風景は見られたのだろう。だがその当時の町並みを記録している写真はあまり多くない。なので、今回の旅ではたいしたことないと思われる風景でもなるべく写真に収めるようにした。
(2014年01月22日訪問)