「明日ズェガビンへ行こうよ、朝8時に迎えに行くネ」
ズェガビン山がどんなところかは知っているので、登れるのか心配していたら、職場の世話人の年配女性も、
「私も一緒に行くから心配イラナイヨー」
と言うではないか。もしかしたら車で山頂まで行く方法でもあるのかな。時間通り朝8時、でこぼこ道を車に揺られながら私たちはズェガビン山へ向かっていた。
ズェガビンはカレン仏教の最大の聖地であり、また、カレン文字を考案した学究の中心となった場所とも言われている。
同時にナッ信仰の影響も深い。その山腹の岩肌にはズェガビンの神の姿が見えるという。
写真の中央が2人の並んだ神様の姿である。
左の背の高いほうが兄、右は妹で、おなかが大きく見えるのは妊娠しているからだという。ちなみに兄の子を妊娠しているのではないとのこと。誰の子なんだ。気になる。
日本の道祖神の昔話には兄妹婚が出てくるが、ミャンマーの神様には近親相姦はないのだろうか。
向かったのはズェガビン山の西登山口にある寺、ボディタタウン寺院。ルンビニー庭園とも呼ばれている。
総門は、多層の建物が載っているタイプ。
ここまで見た中ではバーインニィ洞窟寺と類型だ。ただし、バーインニィ洞窟寺は建物が1つだったのに、こちらは3つ。
総門を過ぎると、左右におびただしい数の仏像が並んでいる。千体の仏像があるという。
「ボディタタウン」は日本語に訳せば「千仏寺」であろうか。「タ・タウン」は「一千」という意味。私はこのように仏像を縦横に並べて配置している場所を「千仏庭園」と呼んでいる。
私は以前こうした仏像は全部釈迦なのだと思っていた。
量子力学の世界で、宇宙には実は電子が1つしかなく微細な時間の中で生成と消滅を繰り返して複数存在しているように見えるという仮説みたいに、一人の釈迦が千の姿で同時に顕現しているのだと思っていたのだ。
今回、現地の人にその疑問を投げ掛けてみたら、釈迦が千人いるのではなく、1人の釈迦と999人の弟子なのだと言われた。
当然、全部の仏像にひとつひとつお参することは不可能なのだが、少し仏像の林の中を歩いてみた。
なにせすごい数の仏像を作ることになるので、ひとつひとつの仏像を近くで見ると、塗りがやや雑。
奥のほうに行けば行くほど手が掛かっていないように見えた。
でもこの面積の草刈りをするだけでも大変だろう。
タテヨコに果てるともなく続く仏像の並びは、『宇宙戦艦ヤマト』に出てくる、惑星イスカンダルの墓地を思い起こさせる。
参道の途中に大きめのパゴダがある。観光客は参道の突き当たりの登山口まで車で直行するため、このあたりを見ている人など一人もいない。
横のガレージのような建物は土産物屋で、シャンバッグなどの衣料品が天井から下がっている。
この場所から山頂がよく見える。
これからあそこまで行くんだ。
周囲はほぼ垂直に近い絶壁。すごい山容だな。
パゴダの前には、細長い中廊下の建物があった。
この建物が気になったので、登山口から歩いて戻ってきたのだ。
中を覗いてみると動物園?と思うような造りになっている。
動物の檻のような小部屋の一つ一つに、カラフルなジオラマが並んでいた。
たぶん、仏教の誕生と伝来に関する物語なのだと思う。たくさんのブースがあり、映像表現として大作だ。
ただし、自分が知っている釈迦の生誕から仏教の成立までの物語とはどうも違っているようで、ジオラマだけ見ても何の場面なのかはわからなかった。
このブースなど、おじさんの上で小さな人が天上天下唯我独尊ポーズしてるのを、皆がありがたがってるように見えるのだが、なんの場面なのか想像できない。
あ、托鉢行列の前で五体投地する男がまたいた。
一度、ミャンマーのポピュラーな仏教の伝説を知っておきたい。こうしたジオラマはほかの寺にもよくあるので、何の場面かわかればきっと楽しいだろう。
再び登山口のほうへ。
これは茶店。けっこう大人数が同時に食事できそうだ。
売店にはジュースや駄菓子を売っている。
赤い破風のついたハデハデな建物があった。
中に入ってみたら、2人の神像があった。ズェガビンの兄妹の神様だろうか。
神像はカレン族ふうの貫頭衣を着ているのだが、町のブティックで売っているのよりはずっとたけが長く、男性の衣装もワンピースのようにも見える。そう言えば、民族博物館でみたカレン族の装束のマネキンもこんなふうにたけの長い上着を着ていたな。
登山口のゲート。一見すると料金所のような感じだが、特に入山料は徴収されなかった。
ここで重大な事実が判明。一緒に行くと言っていた世話人の年配の女性と、ドライバーのお兄ちゃんはここで帰るというのだ。ここから先の道案内をする大学生のガイドを雇ってあったのだ。
「ここから先はあの子たちが一緒にいくからネ、下山したらケータイで知らせて。また迎えにくるから」
まさかそれは考えていなかった。せめてお兄ちゃんだけでも一緒にと誘ったら、
「いやー無理、絶対無理だからオレ」
車で頂上まで行けるのでは、という希望はここで無残に打ち砕かれたのである。
しかもお兄ちゃんの様子からして、この道中、決して楽なものではなさそう・・・。でもここまで来たら、行くしかない。
ゲートの中では、お坊さんがマイクで何かしきりに説明をしていて、スピーカーからその声が響き渡っている。どうもこの山にロープウエーを建設するので寄付してくれというようなことを言っていたのではないかと思う。
登山口の入口には靴下くらいの大きさの土嚢が置かれていてた。パゴダや登山道の補修に使う砂が入っているらしい。巡礼者はこの袋を持って登ると功徳がつめるのだ。私も1つ持っていくことにした。重さは1kgくらいだった。
緩い坂を200mくらい進んだところに、三間一戸八脚門相当の山門があった。
日本で言うなら「二天門」にドンピシャ該当する建物である。
日本の八脚門と同じように、左右の一間に神様が祀られている。
これは左側。
やはりワンピースのような長い装束である。頭のターバンの様子から男の神様であろう。
これは右側。
これもターバンからして男の神様のようだ。
山門を過ぎると、道は石段になり、とつぜん斜度が急になる。
このあたりから、土嚢が道ばたに投げ捨てられている。まだ標高差で50mも登っていないと思うのだが、どうやら皆このあたりに置いていくようだ。
私もすでに息切れしてきたので、土嚢を置いた。
踊り場のような平らな場所はほとんどなく、等高線と直角に急斜面を登っていく。とても一息では登れず、少し登っては休みを繰り返しながら高度を上げていく。
ちなみに、信仰心のあつい巡礼者は登山口のゲートから裸足で登っていた。私たち(バイトの大学生も含む)は靴をはいて登山。
バテてきたあたりに露店があった。
私たちは持参したペットボトルの水がまだあったのでスルー。
だいたい標高差で200mくらい登っただろうか。
山門があって、お寺の建物が見えてきた。
ここがズェガビンパゴダの本坊なのだろう。ベンチもあるのでここで一休みすることに。
私「もう半分くらい来た?」
ガイド「ぜんぜんマダダヨ、自分はこれまでに4回登ったことがあるからワカルヨ」
そうか今日が5回目なのか。ということはこの山の専属ガイドではなく、単に英語ができる地元の学生なんだろうな。
土嚢置場があった!
ここまで持ってくれば良かったのか・・・。
ここには水飲み場と放送のためのブースがある。
バイトの子はこの水飲み場からペットボトルに水を入れてスポーツドリンクを作っていた。まだまだ気合いが必要そうだ。あとでわかったことだが、だいたいこの本坊までで全行程1/3くらいである。
ブースではまたお坊さんがしきりに何か放送していた。参拝者が来ると放送を始めるのだった。たぶん、パーリ語でお経を唱えているのだと思う。
水がめの横にはコブラ光背の仏像。
光背が多頭のコブラになっている仏像はミャンマーでは珍しいと思う。
本坊の横には小さなパゴダがあった。
鐘つき柱があったので、3回撞く。
(2014年01月25日訪問)