死の鉄道博物館

泰緬鉄道の機関車が保存されていた。

(ミャンマーモン州タンビュザヤ)

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ジャパンパヤーを探すことになった。町の中で地元民に尋ねてみても知っているという人に出会わない。

教えられて行ってみた場所にあったのが、ここ「死の鉄道博物館(跡?)」である。

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「死の鉄道」とは「泰緬(たいめん)鉄道」に対して連合国側がつけた名称だ。

日本軍が物資輸送のために、タイからミャンマーまで建設した鉄道である。その建設にあたっては、ジュネーブ条約に違反して捕虜を強制労働させ、無謀な計画で多くの死者を出した。枕木の数だけ人が死んだとも言われる。映画『戦場に架ける橋』の舞台はこの路線のタイ側での話である。

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泰緬鉄道の建設といい、インパール作戦といい、日本軍のビルマでの軍事行動は「無理が通れば道理が引っ込む」式の無謀なものが目立ち、とてもイヤな気持ちになる。

イヤな気持ちというのは過去のことではなく、日本人はビルマでの敗戦から何も学ばず、いまだに政治や企業運営において精神論がまかり通っているからだ。

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どうやらここには元々博物館が建っていたのが取り壊されたらしく、いまは泰緬鉄道の機関車だけが保存されていた。

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私は鉄道に詳しくないので、展示されている機関車がどういうものかはまったくわからかった。

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これは当時のレールを保存したもの。

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博物館があったことを語る碑。

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日本軍人の像と思われるものが破壊されていた。

ミャンマーは基本的には親日国である。それは一時的ではあれビルマを英国の植民地から解放したのが日本軍であったし、その後独立国になったときの指導者アウンサン将軍が日本の教育を受けていたからだとされる。

だが、カレン族やモン族といった少数民族は、戦時中にもイギリス軍側について日本軍と戦った。そのため、カレン州やモン州では少し事情も違うのかもしれない。

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旧泰緬鉄道線はタイ国境付近まで線路は続いているらしいが、現在は列車は運行されていない。

その後、タンビュザヤには泰緬鉄道資料館が建てられ、資料などが展示されているという。

(2014年02月08日訪問)

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