ブフーヤ寺院

チョンペー村の郊外の丘の上に寝釈迦がある。

(ミャンマーカレン州パアン)

カヤー村からチョンペー村へ。

カヤー村を出るとすぐ村民が作った検問所があり、オートバイも停められた。これまで有料道路にしろ、町村の通過料にしろオートバイはフリーパスだったので、停められてちょっと緊張が走る。それは村人も同じだったようだ。まさかこんな道をミャンマー語を話せない外国人がオートバイで通るとは思っていなかったのだろう。もちろんお互い英語も話せない。

でも目的地の「ザタピン」という単語だけはわかったみたいで、「この道を行けばザタピン町だ、通行料は200チャット(=20円)な!」と意思疎通でき、お互い緊張も解ける。適当に走るのではなく、目的の地名を覚えてきてよかった・・・。

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チョンペー村の少し手前の何もない荒れ地に、寺の看板が立ち並んでいた。

どうやら完成予想図を掲げて、寄進を募っているみたいだ。

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街道から北のほうに低い山があり、その上にパゴダが立っているのが見えた。

100m×50mほどの小さな山だ。日本の大きめの前方後円墳くらいの大きさしかない。こういう小さな山は航空写真で発見するのは難しく、現地に行ってから初めて気付くことがほとんどだ。

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山の高さは20mくらいだろうか。

小さいながらもいろいろと伽藍を造営しており、立ち寄る価値は充分にありそうだ。

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山の登り口では、仏師が托鉢行列仏をいままさに作っているところだった。

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こういう仏像は仏師が現場で造っていたんだ・・・。

てっきり工房でプレキャスト工法で量産しているのを買ってきて並べるのだと思っていた。

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先頭の仏陀が最も作業が進んでおり、行列の後ろに行くにつれて造りかけになっている。

したがって、この行列を後ろから見てくれば、ミャンマーのコンクリ仏の制作手順がわかるということだ。

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仏陀の後ろではカラダや着衣がおおまかに造形されているだけでまだ首から上がない。

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カラダの外形は細かい網を入れて補強しながら造っていくことがわかる。

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少し後ろへいくと、着衣がない状態になる。

着衣の部分には鉄筋が入っていることがわかる。

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さらに後ろへいくと、カラダの芯だけになる。

芯にはレンガが入っていることがわかる。

ミャンマーのコンクリ仏はこうやって造られていたのだ。

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山頂へ登ろう。

標高はせいぜい20mほどなのだが、きょうは本当に疲れており、足が鉛のように重い。

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山頂に見えたパゴダ。

小さなパゴダだ。

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写真を撮っていたら、お坊さんがやってきた。

このお坊さん、英語がしゃべれるようでいろいろと質問されたが、私の英語力では聞き取れず、あまり会話もできなかった。ごめんね。

でも自分の語学力の無さを棚に上げて言うが、たぶんお坊さんの発音もたいがいだったと思う。でもずっと案内して説明してくれたので帰るとき500円喜捨した。

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山腹には僧房と寝釈迦堂があった。

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寝釈迦は西向きで、首が長いのが特徴。

なんか肩が凝りそうな寝かただな。

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寝釈迦堂の先には石段があり、この小山の頂上部分に登ることができる。

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大して高くはない山だが、周囲は平坦なのでけっこう眺望がいい。

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西の方向。

寺のすぐ裏をザタピン川が流れている。

チョンペー村の中心部や、これから向かうザタピン町はこの先だ。

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北の方向。

中央にうっすらと見える山は、カモカポ山

この方向は荒れ地、湿地、水田がモザイク状に続いており、大きな村はない。実際に行ってみないとわからないが、巨大な寺や奇妙な寺はこの方向では見つからないだろうと思う。

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東の方向。

もと来た方向だ。

カヤー村などがあるはずだが、木立に隠れて確認することはできない。

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南の方向。

手前の赤い道はこの寺の参道。

遠くにかすんで見えるのは、タンマサー僧院やピア山だ。つまりジャイン川の対岸になる。

お坊さんに山の名前を訊ねたところ、あの山の名前は「トムサ山」と聞こえた。「タンマサー」と同じ言葉だろう。

これできょうのお寺参りはおしまい。滞在しているパアン市に戻るには、ここからまだ60kmくらいは走らなければならない。だが大部分は何度も通った道であり、疲れていたこともありここから先はどこにも立ち寄らずに宿に戻った。

明日もあるので、ヤシ酒を飲んで早く就寝したのだった。

(2015年05月02日訪問)