タトンからの帰路、遅い時間だったが町外れでひとつだけ確認しておきたいお寺があったので立ち寄る。
今回のミャンマー滞在では休日2回をタトン方面の寺巡りに使う計画なのだが、2回目は実質的にはタトンではなく州境よりもカレン州側を見て回るつもりだ。したがって、タトンに近いこの場所は今日確認しておかなければならなかったのだ。
湖が見えてきた。
ほとりでは男の子たちがセパタクローに興じていた。一日の仕事がおわってからここに集まるのだろう。
風もない夕刻の時間、男の子たちの喚声も広い湖面に吸い込まれていくようで静寂が支配しつつある。この国の田舎では騒音を出すようなものはなにもないのだ。
これは湖なのか、沼なのか、湿地なのか・・・。
その湖の中央に島があり、寺へ渡る橋が見えている。
あれがきょう最期の目的地だ。
事前に航空写真を見て「橋ではないか?」と見込んでいたわずかな白い線だったが、想像以上に立派な橋だった。橋脚は高く、装飾や彩色がある。
来てみてよかった!
橋へ近づくために、湖の外周をまわっていく。
森の中に山門があった。
寺の参道とみて間違いないだろう。
参道を進むとさらに山門があり、そこから先は橋になっていた。
「ミッタオワディダッター」とある。「ダッター」は「橋」の意味なので、「ミッタオワディ橋」。
橋の上はタイルになっているので、ここで履物を脱ぐべきなのだろう。
ミャンマーで島に寺がある場合、島全体が寺域のことがあり、島に上陸するときから履物を脱ぐというケースがある。
ここは島に渡ってから必要かもしれないので、サンダルを手に持っていくことにした。
橋は水面から5mくらいの高さがあるが、橋床もしっかりしているし欄干も高いので怖い感じはない。
橋の上ですれちがった姉弟。
いや、親子か?
ミャンマーの若い女性って年齢不詳で見た目より年齢が行っていることが多い。
橋を渡り切るとお寺の建物の二階に直接入るようになっていた。
橋への出口は休憩用のベンチになっている。
こういう堅苦しくないところがミャンマーのお寺って、すなおに楽しい。
建物は講堂、兼、僧房になっているようだ。
手前の広いところで講義をし、右側の間仕切りのあるところが寝所なのだと思う。
寺が大きくなると、修行僧の寝起きする建物と講義する建物が分離していくのかも知れない。二つの機能が兼ねているかどうかは最終的には建物の中を見ないとわからないが、判断が難しそうな場合は当サイトでは僧房と記載していることが多い。
二階から境内を見回すと、ほかにパゴダがあることがわかった。
サンダルはベンチのところに置きっぱなしだが、石だらけというわけでもないし、夕方で地面も冷えているので裸足で見て回ればいいだろう。
このパゴダ、よく見ると渡り廊下のようなものがついている。緑路の手すりの通路だ。
この渡り廊下は、どうやら可動式になっていて、緑色の部分は固定で、その内側にある銀色の欄干の部分がせり出して、僧房に接続できるようなのだ。
僧房側にもドッキング用の構造があった。
これは面白いな。
パゴダの山門。「インリージーレーパヤー」とある。「インリー」は「湖」なので「湖の中の寺院」という意味。
「パヤー」は「参詣用の寺」みたいな意味で、ミャンマー人はこれを「パゴダ」という日本語に訳す。しかしほとんどの日本人にとって「パゴダ」とは饅頭型の仏塔(建築物)であり、寺の意味はない。ミャンマー通の人で、日本人の解釈は間違ってると力説する人もいるが、当サイトはわかりやすさ優先で、パヤー=寺院としている。
パゴダは覆鉢の部分に布が巻いてあった。
ペアとなるタコンタイ。
てっぺんはオシドリ。
鐘つき柱。
「得度堂」は当サイトの造語で、ミャンマーで出家するとき、僧として認定される儀式をするためのお堂である。
このへんのところは普段おつきあいのある通訳さんがクリスチャンのため、私の勝手な想像が入っているので、間違っているかもしれないのだが・・・。
得度堂はこれまでほとんどの寺で施錠されていていたが、ここでは扉が開いていて中が見えた。
右にある椅子にお坊さんが座るのか。
地面の高さからみたミッタオワディ橋。
僧房のほうに戻ってきた。
二階に横断幕があり、どうも橋の開通のセレモニーの時のものらしい。やっぱりこの寺は橋がウリモノなんだ。
お坊さんが上がって行きなさいというので、ちょっとだけ上がって水とお茶菓子をいただき、雑談。たぶん、お互いにほとんど会話は通じてなかったと思うが、これからパアン市まで帰るんだよというようなことを話して、早々に退去した。
橋の上からみた湖面。
一部は湿田になっていた。
タトン山脈に日が沈む。
きょう訪れた寺々は、もうあの山並みの向こう側になった。
滞在しているパアンに戻るころには、すっかり夜のとばりが下りていることだろう。
(2015年11月28日訪問)