岡山城から後楽園へ向かう。奥に見える橋を渡り、南口から入園できる。
後楽園は、岡山藩主が作った大名庭園で、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とならび、日本三名園と呼ばれている。江戸期には御後園と呼ばれていたのが、明治以降、公園として公開されるにあたって、名前を後楽園に変更したのだという。
南ゲート付近にある茶店。
提灯など、いかにも観光地の土産物屋という感じで、いい味を出している。
最近、道の駅などでこじゃれたスペースにまばらに民芸品などを並べた店舗も増えてきたが、私はこういうドギツイ土産物屋のほうが好きだ。こじゃれたスペースは短時間で意図して作り出せるが、ドギツイ土産物屋の風景は一朝一夕に完成するものではないからだ。
川床ふうの茶店。
この横に貸ボートもある。
庭園の中に入っていく。入園料は350円だった(当時)。
南ゲート付近にある廉池軒という茶室。
園内には何箇所かの茶室や
庭園の形式は、いわゆる回遊式庭園の大規模になったやつというべきか。
唯心山という築山。ここに登ると庭園を一望できる。
大名庭園は有り体に言ってしまえば、藩主が城外に出ずにあたかも外界を散策した気分になってストレスを解消するための疑似的な体験施設といっていいと思う。
そのため、山、川、池、森などが作られる。初期の御後園時代には、ここにあった村の田畑などを利用して田園そのものを再現していたという。
後楽園の中心となる沢の池の茶室。
奥に見えるのは鶴鳴館という御殿。戦後、岩国市から移築した御殿で、結婚式場などとして貸し出されているという。
外からは見えないが、中庭には能舞台があるらしい。
五角形の四阿。
往々にして、庭園にはこういう数奇者好みの建物が造られる。
その中で数寄の最たるものがこの流店という休み処だ。
なんと建物の中を小川が貫流している。
そのまわりの板の間に座って景観を眺めるのだ。
外観は二階建てで、天井には階段を取り付けると思わせる意匠がある。
おそらく実用的なものではなく、隠し階段があると意識させるためにわざと目立つようにして面白がるためのデザインだろう。
流店には飛び石で渡っていくようになっているのも風流だ。
流店の南側には、私が「八ツ橋」と定義しているものがある。橋床が直線にならないように配置した木造橋のことである。
八ツ橋のファンサイトってないと思うのだが、これをジャンルとしてやってみたいと思っていたことがある。
その原形は平安時代の前期に書かれた『伊勢物語』に登場し、橋があった場所は現在の愛知県知立市八橋町付近だと考えられている。
戦災で焼失する以前に利休堂と呼ばれていた茶室。現在は茶祖堂という名前になっている。
園地の大半の部分は芝生になっている。
案内によれば、藩主時代には田園風景を再現していたが、維持コストがかかりすぎるため途中から芝生に変更されたという。
庭園の北側のほうにあった茶屋。
その茶屋の付近は、園地の外側との視線を遮断するために低い丘が築かれていて、その斜面を利用して小さな寺が作られている。
慈眼堂というようだ。
山門は薬医門の二王門。
寺の小山へ登る途中にある四阿。
板の間が三角形になっている。
寺に上ってみよう。
丘のうえにある本堂。
寺の隣りにある由加神社。
その拝殿。
踏み車ふうの水車もしつらえてあった。
これもかつては田園でよく見られたアイテムなのだ。
天守閣や周囲の自然の山も借景として取り入れており、庭園としては非常に優秀だと思う。
しかし寺や神社、畑も庭園の中に置き、箱庭的な世界で満足しなければならないというのは、江戸時代の大名の贅沢な悲哀なのではないだろうか。
(2003年04月28日訪問)