ティロン村の石灰窯

稼働中の石灰窯を見学した。

(ミャンマーカレン州パアン)

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次なる目的地を目指してティロン村の郊外を走っているとき、道端に石灰工場があった。石灰工場の原始的な石灰窯(いしばいがま)については以前にタンガリー村というところで見たことがあったのだが、その使い方などの全容はよくわかっていない。

ラインブエ街道の道端に大小の石灰乾燥小屋があるのは気付いていたので見学したいとは思っていたところだ。ちょうどいい機会なのでお願いして見学させてもらった。

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家族経営と思われる工場は、2基の石灰窯と消石灰生成場、石灰乾燥小屋、住居(?)からなる立派なものだった。

そしてこれが石灰窯だ。前回見たのは使用後の石灰を掻き出した後の状態だったが、今回は稼働中。

石灰岩を高温で焼くと生石灰に変化する。石灰窯はその変換を行なう反応炉なのである。日本でも石灰岩地方でときどき遺構を見かけるが、稼働している窯は存在しないと思う。

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近くで見てみよう。

以前タンガリー村見たのは竹で囲まれた基礎部分だったのだ。この基礎の上にまだ原料を積み上げ、周囲は鉄板で囲んでいる。でき上がった生石灰が外側に崩れないようにするためではないか。

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窯の上部からは高温の空気が立ち上っているのが、かげろうとなって見えている。

外壁部分に並んでいるサイコロのような形状の部材はたぶん耐火レンガだろう。つまりこの石灰窯は石灰石を円錐状に積み上げ、外周は耐火レンガと鉄板で覆って形状を保っているのだ。

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石灰窯を取り巻くように原料が置かれている。

手前の白い石が石灰石。後ろの木材は石灰を焼く燃料だ。

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この工場には稼働できる石灰窯は2つあり、もう一つの窯のほうでは次の作業へ向けて準備が進んでいた。

こちらは火が入っていないので、近くでよく観察させてもらおう。

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これは焚き口。最初の着火に使ったり、あるいはその後は酸素の取り入れ口になるのではないだろうか。

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中を覗いてみた。

基本的な構造はダンガリー村でみたのと同じ。窯の中は二階建ての構造になっていて、床には大きな丸い穴が開いている。

二階の床は藁を混ぜた粘土できれいに補修されていた。

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いまは一階部分を補修しているところのようだ。

二階部分がきれいにガラス状に焼けているのに対して、一階部分は赤く焼けただれている。このことから一階部分には薪が詰め込まれて熱源となるのではないかと思われる。

もっとも薪となる木材を見ると結構な長さがあることから、この奥にきれいに敷き詰めるのはむずかしそうで、この穴からもはみ出すように立てて並べるのかもしれない。

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粘土を運ぶ若い男。この家の息子なのか。

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粘土は近くで作っていた。

壁土として塗れるように藁を練り込んでいる。

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それにしても薪の量には驚かされる。

パアン市周辺の丘陵地帯は潅木が茂る荒れ地が多いが、それはおそらく二次林で、本来の高木の植生はこうした石灰工場や生活の燃料として消滅したのではないかと私は想像している。

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石灰窯で焼き上がった石灰岩は、その後、炉から取り出され野外に並べられて消石灰に加工されると思われる。

焼き上がった石灰岩はまだ石の形状を保っている。その状態を「生石灰(きせっかい)」と呼ぶ。生石灰に水を含ませると化学反応を起こして「消石灰(しょうせっかい)」という製品に変化を起こす。その化学反応の際、石は粉々になり、このような白い粉になるのだ。

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生石灰から消石灰への反応は、自然の状態で吸湿させ、2週間かかるという。

その消石灰の反応場は、この工場の敷地の半分くらいを占めている。

純白の地表はまるで雪景色みたいだ。

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反応が終わった消石灰は、この乾燥小屋に搬入されると思われる。出荷まえに水分を抜くためだろう。

間口10m、奥行き40mちかくある巨大な木造の小屋だ。

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内部の構造は単純で、屋根はインペという広葉樹の葉の板(インパアモウ)がびっしりと並べられている。

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消石灰はここで袋詰めされるのだ。

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敷地の出入り口には出荷を待っていると思われる製品が積まれていた。雨に濡れないように幌がかぶせてある。

今回、この工場で石灰窯の使い方が以前よりは具体的にわかってきた。とはいえ休日の遠足なので通訳さんはいないし、詳細な手順や材料の積み上げ方など、まだまだわからないことも多い。

今後も機会があれば石灰窯は観察していこうと思う。

(2017年01月07日訪問)

D24 地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ) 2020~2021 (地球の歩き方D アジア)

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地球の歩き方編集室 (編集)

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