きょうは宿を決めていないので、あまり遅くなると宿泊地に難儀しそうだ。
早めに宿泊予定地の津和野に入るつもりだが、そのまえに一ヶ所だけ立寄っておく。きょう最後の訪問地、大井谷の棚田である。
山奥にあるが道も判りやすく、広い駐車場も整備されていた。岡山辺りでは、棚田百選に入っていてもどこが棚田なのかわからない地域もあったりしたが、ここは観光客相手の駐車場や展望台も整備されていて迷うことはない。
見ての通り、田んぼの法面は石垣積み。法面の角度もほぼ垂直に近い。
すごく重厚な風景というか、農村の風景にしては硬質な印象をうける。
駐車場から少し道を上がって見下ろしてみた。
田んぼの枚数は、639枚。棚田百選の中では枚数が多い部類だ。
人家は棚田の中に分散している。
村人の話では、ここは平家の落人が住み着いた村で、長い歴史があるという。これだけの石積みを作るのには、800年とはいわないまでも、100年や200年はかかったのではないかと思う。
かつてはもう少し山のほうにも人家があったが、サンパチ豪雪(昭和38年の雪害)のときに住めなくなり、町に出てしまった人もあったという。
庭先で和牛を世話していた。
孫が生まれたらしく、庭先にはこいのぼりが掲げられていた。ちょうど5月1日なのである。
このお宅の特徴は、牛小屋が主屋と棟続きになっていることだ。
日本各地でかつては農家で牛馬を飼うのは珍しくなかった。そして主屋の土間に牛馬をいれる部屋を持ち、牛馬と人間はひとつ屋根の下で暮らすこともあった。
私もこれまでに農耕のための牛を飼っているという農家は見たことがあったが、同じ屋根の下で人間と牛が暮らしているという形態は初めて見た。山陰の雪の多い地域ではまだ見られるのだろうか。
かつてこの村でも牛を農耕に使うのは普通だったという。牛で水田をするには田植えまでに5回田んぼに入る必要があったのが、機械になってからは2回(田起し、代掻き?)で棲むのでだいぶ楽になったという。
5月1日ではまだ田植えには早いが、すでに水が貼られて、棚田を見るにはよい季節になった。
田への導水路を見ると、直接圃場に水を入れるのではなく、いったん田の周囲をまわしてから導水するようになっている。
山の沢水を直接棚田にいれると、温度が低くて稲に良くないため、水路の距離を長くとって少しでも水温を上げるという工夫だ。
沢水を利用した洗い場もある。
ん? 水車小屋か?
壁に怪しい四角の穴があるし、下の石垣が不自然に油でもかけたように黒ずんでいる・・・
確認したが水車小屋じゃなかった。あの黒ずみは何なのだろう。
田植え機では植えられないような田んぼが多いが、比較的よく耕作されているほうだと思う。
棚田オーナー制などもやっているようだ。
時間が遅かったからか、GWというのに観光客はわたししかおらず、風景をひとりじめにできたのだった。
その後津和野町へ向かったが、津和野町では宿はどこもいっぱい。
宿屋の看板を探しながら真っ暗になった国道を走っていくうち、日本海に面したの益田市まで来てしまった。駅近くでビジネスホテルを見つけることができた。
あしたは少し早起きしてこの道を戻らなければならないだろう。
(2004年05月01日訪問)