鳥取市街のアーチ看板群

鳥取市街にはたくさんのアーチ看板があった。

(鳥取県鳥取市末広温泉町)

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商店街や歓楽街のアーチ看板。これを観賞しなければならないと思ったのは高校生のころだ。

初めてその存在に気がついたのは、私の郷里前橋市の箪笥屋横丁だった。神明さまの裏手から、前橋城の縄張の迷路じみた路地へと続く横丁には家具や指物の職人の家が並んでいた。その横丁の入口に、ちょうど左写真のような行灯型の看板を掲げたアーチ看板があったのだ。

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ただ当時は、カメラといえば写真部の子が持っている程度で、あとは親のカメラをときどき借りて使うくらいだった。たとえ自分のカメラを持っていたとしても、フィルムも現像やプリント代も高く、バカスカ風景を記録できる時代ではなかった。

そうこうしているうちに、箪笥屋横丁のアーチ看板は撤去され、家具屋が並んでいた町並みも櫛の歯が抜けるように寂れて再開発されてしまった。

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それから数年たち、自分のコンパクトカメラを持つようになってからも、まだカメラは気軽にシャッターを切れるものではなかったし、そもそも、写真は雑に撮るべきものでもなかったのだ。

気になるものがあっても、キレイな構図、絵になる場所でなければ、カメラを構えてもそのまま下ろしてしまうなんていうことはザラだった。

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そしてたとえ、気まぐれで何かを撮ったとしても、そのネガをいま探し出すのは容易ではない。いまなら1日に200~400枚くらいの写真を撮るので、どこで写真を撮ったのかをざっと見つけやすいし、しかもデジカメだから時系列に並んでいる。

だが以前は1リール24枚撮りのフィルムを後生大事に1ヶ月もかけて消費していた。ひとつの観光スポットで 1~2枚しか撮影していいないから、リールごとのまとまりもない。その脈絡のない大量のネガから目的の画像を探し出すのはほぼ不可能だ。

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大学時代に、群馬県の富岡市のかぶら遊園という遊園地の跡地を見に行ったとき、まだ遊園地の入園ゲートが街角に残っていた。その写真を2~3枚撮ったのだが、もう見つけることは出来ないだろう。

かぶら遊園跡にはデジカメ時代になってからもう一度行ってみたが、すでにゲートは撤去されていた。そんな経験もあるので、ゲートを見かけたらできるだけ写真に残しておこうと思っている。

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さて、鳥取市でビジネスホテルにチェックインし、それから、銭湯へ入るために外出した。実は鳥取駅の北側の一角は温泉地で、源泉掛け流しの銭湯が密集している地域なのだ。鳥取市に宿をとったのは温泉銭湯が目当てだったからだ。

町を歩いてみると、繁華街に多くのアーチ看板があることに気付いた。それも行灯型で電灯がともるタイプのものが多い。よし、では、夜の電灯がついているときに撮影してみようではないか。

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東京から離れた、地方の県庁所在地では飲み屋街が元気な街がときどきあるが、そのすべてでアーチ看板が多いというわけではない。

何らかの条件、その街が繁栄した時期等によって、アーチ看板がたくさんできるのではないかと思う。

公道の上を利用することから、現代では公共目的のアーチ看板でなければ新たに設置するのは難しいのではないか。

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このころ使っていたデジカメは、夜の街をきれいに撮影できるような能力はなく、ブレブレの写真を量産してしまった。

でもそんなブレブレの写真でも、そのとき撮影したからこうして記録が残った。

おそらく現在では、ここに写っているアーチ看板のほとんどは撤去されてしまっていると思う。

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いまならこの程度の明るさで鮮明に写るカメラは普通にある。

だが、いまでは写すべきアーチ看板が存在しないのだ。

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アーチ看板のように街角にある商業建築は、意外に記録に残らないのではないだろうか。

たとえば大正時代に作られた銀行や、戦前のデパートなどは誰もが写真に残すようになったが、そうではない、代わり映えしないような商店街などはこれだけ多くの人がデジカメ(携帯電話)を持ち歩く時代になっても、あまり撮影されていない気がする。

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ところで、話は変わるが、私にとって鳥取は地理が覚えにくい街のひとつだ。

というのもまず太平洋側で育った人間にとって、川が北に向かって流れるとか、建物の裏側(北面)方向に海岸線があるというのは直感的に受け入れにくいのだ。

そして鳥取市に初めて入ったのは夜だったうえ、弟がナビゲーターをしていて自分で地図を見なかったことから、私は街の南北を逆に捕えてしまっていた。

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ウミガメの子どもは卵から這い出て最初に海に向かうときに、方位が刷り込まれるというような話もあるが、私は初めて宿泊したとき、南北を逆に刷り込んでしまったようなのだ。

ホテルの部屋は5階くらいで北向きだったが、朝になってもまだ窓から見える風景を南側だと思い込んでいたくらいだ。

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そのおかげで、いまでも鳥取の地理を頭のなかで思い描くとき、駅周辺だけが逆転していて、周辺の地理とうまくつながらないというエラーを抱え込んでしまっている。その後、何度も地図帳を見ながら移動経路を反芻してみるのだが、どうしてもうまくいかない。

(2005年05月02日訪問)

死者の結婚 (法蔵館文庫)

文庫 – 2024/9/13
櫻井義秀 (著)
「結婚」とは何か。山形県のムカサリ絵馬供養、青森県の花嫁人形奉納、沖縄のグソー・ヌ・ニービチ、韓国や中国・台湾の死霊婚など、死者に対する結婚儀礼の種々の類型を事例に、その社会構造や文化動態の観点から考察する。

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