旅の2日目。まず目指したのは、高野寺というお寺。宗派は高野山真言宗。
空海が創建し、鎌倉時代に繁栄した大寺だったというが、戦国時代に兵火により消失したという歴史をもつ寺。
こうしたいわくの寺は時々あるが、それなりに大寺の雰囲気が感じられる寺と、どうにも感じられない寺があり、それは実際に行ってみないとわからいものだ。
寺への参道は久多見神社の東側の山裾を巻いて、農業用の大きな溜め池の横を登る道だと思われるが、そのルートは途中でえらいヤブになって車で通行するのは無理だったので、遠回りでも摺木山山頂へ登る車道でなるべく近くまで行くのがよい。
車道から寺への枝道は普通乗用車ギリギリ通れるというような細道で、そこを登っていくと「もうこれ以上は無理だな」という感じの場所にでるので、そこで素直に車を停める。そこはおそらく本堂の跡で、現在は人家の廃虚のようなものがある。
そこから200mくらい石段を登って行くと奥の院と思われる場所がある。
奥の院は宝形の堂で、周囲は多少は片付けられてノボリも立てられていた。
奥の院の回りにある石祠。かつてミニ霊場があったのを、回収して一ヶ所に集めたものではないか。
この周囲は完全な山ではなく、かつて僧房などが合ったろうと思われる平坦地もところどころに見られた。
ということは、充分に大寺の面影を残した廃寺ということでまずは満足。
古いものではなさそうだが宝篋印塔も残されている。
今度は、車を停めたところから逆に山を下っていく。100mくらい歩くと、また宝形の堂がある。こちれはとても新しい堂で、まだ出来て1~2年という感じだ。
堂の内部にはナマズ絵が奉納されていた。
言われなどはまったくわからない。タッチが何通りかあるので、複数の人が奉納したものだろう。
このお堂の本尊はよくわからない石。
観光ガイドに書かれている「優娑石」がこれであろうか。高野山の弥勒石と対になるもので、病気の治療に霊験があるといわれる。
この高野寺、それなりに規模が感じられるので廃寺マニアにはそれなりに楽しめるが、普通の観光客にはまったくオススメできない。
メマトイ(虻)がひどくて撮影が大変だった。メマトイは人間の目にまとわりつくだけでなく、カメラのレンズにもたかるので、いちいち振り払ってから写さないといけないのだ・・・。
(2005年09月02日訪問)