マナイラパゴダからコッベン町へ向かうその途中に、細い橋があることは衛星写真であらかじめ知っていた。
日本でも細い木造橋とか流れ橋のようなものはどんどんなくなっているが、それはミャンマーとて同じ。
村と村を結ぶルートで車が通れない橋はどんどんコンクリートのラーメン橋に掛け替えられている。あるうちに見ておかないといけないジャンルのものなのだ。
この橋が残ったのは、新道が造られて街道のルートが付け変わったからなのだろう。
左が旧道、右が新道である。
新道は舗装ができたてみたいで、一部まだ工事中だった。
旧道を進むと橋のたもとに出た。
ここは東詰め。橋の東詰めには小屋があり、道はその小屋の中を通り抜けている。里門といってもいいかも知れない。写真の左側のルートは乾季に河床を走るための道。
小屋の中で話をしていたミャンマーの少年たちに橋の名前を訊いた。
橋はさっきのマナイラパゴダの橋と似た印象。慎重に走ればオートバイくらいは通れそう。すれ違いは無理だが。
橋長は約270m。
いまは暑季で水が少ないから、オートバイなら河床を走ったほうが早い。
橋脚はレンガ積み造。プリミティブな橋だが自分的には観光の対象だ。
西詰めまで来てみた。
西詰めには里門はない。
ワダチが2つあるのは四輪車が走ったからではなく、オートバイが対面通行するからだ。バイパスができたあともそれなりに通行する人がいるのだろう。
道はこの先、お寺の境内へと続いていく。
村と村を結ぶ道がお寺の中を通っているというパターンはこれまでも何度か見たことがある。ここまでは誰の土地、というのがあいまいだった時代にできた道なのだろう。
(2019年03月27日訪問)