宿に戻る時刻である。
さて、どう帰るか?
順当に行くのならば、パプン街道→AH1号線というように来たときの道を逆に戻ることだ。
だが、私が同じ道を戻るのをよしとしないことは何度か書いているとおり。たとえ走るだけでも、新しい道を通れば、新しい何かを知る可能性が増えるからだ。
そこで考えたのが、サルウィン川の西岸を通って戻るルート。たぶん道のりの上では往路よりもわずかに短く、近道ともいえる。でも実際はほぼ全線が未舗装の田舎道となるため、あまりスピードも出せず、時間は余計にかかるだろう。
最大の問題は、コーピャ山の東側に道があるかどうかがわからないことである。Google の衛星写真で急な山の斜面はピクセルが引き伸ばされて流れたような画像になっていて何があるのかほとんどわからない。下の地図で点線の部分は衛星写真を何度見ても、道があるかどうか判然としないのだ。いや、率直に言うなら、むしろ道がないように見える。
でも以前、道がないように見えたモゥクディ山の東側も通行できたし、周囲の村の配置からコーピャ山の東側にも道があるのではないかと思えるのだ。もしそこまで行ってみて道がなければ、かなりの距離を戻ることになる。時間がギリギリになりきょうの昼飯は抜きになる。
まぁイチカバチカの賭けだ。
まずパプン街道からサルウィン川方面へ向かう枝道に入った。
いきなりこれである。
真っ赤なラテライトのほこりっぽい悪路。ほとんどの日本人はここをオートバイで走るというだけでちょっとした冒険として記憶に残るだろう。
でもこれまでの経験からすれば、この道は立派な部類。通行量もあり、むしろ頼もしいといえるレベルだ。
途中のウッジー村(?)を通過。
このあたりまでは衛星写真でもそこそこの道が確認できたので、特に心配はしていなかった場所である。
ここを右方向に行くのだが、ここからが、本当に田舎道になっていく。それでも携帯電話の電波塔が立っているので、いつでも地図は確認できるのがありがたい。
道はどんどん細くなっていく。
小さな橋があった。ここはもう軽トラくらいしか通行できそうにない。
コーピャ山が近くなってきた。さっき訪れたコーピャタン洞窟寺の裏側に来ているわけだ。
でもまだ道のワダチの跡がたくさんついているので、大丈夫そう。
コーピャ山が近くになり、サルウィン川の河畔に向かう細道に入ると、急にワダチの跡が少なくなり、どこが本当の道なのかわからなくなってしまった。
ダメか? ダメなのか? ここまでなのか?
村の若い男の子がいたので、道を訊ねてみたが英語が微塵も通じない。それでも身振り手振りで、山の東麓を通りたいと伝えると、「ホッケー、あっちに行け」と道とは思えないような細道を指示された。
男の子に指示された細道を抜けると、再び車のワダチの跡のついた道に出た! どうやら一時的に街道を見失っていたみたいなのだ。
やった~! このワダチの跡なら大丈夫だ、コーピャ山の東麓が通行できることはほぼ確定。
一安心したので、道ばたにあったパゴダにお参りしていくことにした。あまり時間の余裕はないのだけれどね。
パゴダの登り口には茶堂がある。
村境に作られるとういのは、日本の茶堂のシステムとよく似ている。ホント、これは茶堂としか言いようのない物件なのだ。
パゴダは道から見えたとおりのもの。
山のほうへ登る細道もある。
ケモノ道のレベルだけれど、もしかすると登山路かもしれない。
プルメリアの花が咲く岩山に作られた、パアンの田舎らしいさびしいパゴダだ。
パゴダの丘で風に吹かれながら少し休憩。
ここはサルウィン川の河畔だが、見えているのは本流ではなく中洲で分けられた支流だ。
中洲に行く橋は見当たらないが、こうした中洲には人が暮らしていて小さな村があったりする。日本で橋のない中洲に人が住んでいる場所をめずらしいものとして紹介したが、サルウィン川ではありきたりな風景である。
コーピャ山東麓が通行できることがわかったとはいえ、ここまでも悪路の連続、時間は押しぎみだ。
あまりのんびりしてもいられない。
ここからは寄り道なしで、ひたすら走るぞ!
(2019年03月07日訪問)