ミャインカレイのセメント工場

2つの工場で日産4,700トンのセメントを生産するという。

(ミャンマーカレン州パアン)

ミャインカレイ村といえばセメント工場、というほどにミャインカレイを代表する風景。工場は2ヶ所あり、ひとつはフランスの支援で立てられたプラントで生産量700トン/日、こちらの写真の工場は日本の支援で建てられたプラントで4,000トン/日の設備だという。

これらの工場を運営するのは、いわゆる国軍系の企業。ミャンマーの軍事政権は単に国防を担っているだけでなく経済とも一体となった一種の軍産複合体だ。アメリカのような防衛宇宙産業ではなく、一次産業~三次産業を広く担っていてその利権が軍事政権の基盤となっている。

ミャンマーは2015年に選挙で民主化がされたことになっているが実態は異なる。軍は選挙に敗けたあとでも政治や経済への影響力を温存できる憲法を準備してきた。民主政党が選挙で改選議席のたとえ100%を取っても軍の賛成がなければ改正できないという条文の憲法を作り、その中で軍の政治への関与を保証しているのだ。この憲法がある限りミャンマーは真に民主化されたとはいえない。

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セメント工場はミャンマーという国に役立つ産業ではあるが、それは一面で軍事政権を肥やすということでもある。よってカレン州の人々にとっては必ずしもポジティブな存在ではないのだと思う。

この工場では過去に事件があった。内戦時代にフランス人の技師がプラント建設に携わっていた。軍は当然その技師をしっかりガードするという約束でカレン州に連れてきたのだが、KNLAは夜陰に乗じて宿舎から技師を拉致した。その目的は技師をカレンの村々に連れて行き、軍事政権に苦しめられているカレン民族の実情を見せることだった。技師は村々で過ごしたあと危害を加えられることもなく解放されたという。そんなあやうい事件も起きた工場なのである。

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現在も、ナッコン村では井戸水の色が黒くなるという事件が発生しており、住民は工場の公害が原因だと考えている。この工場への反対運動の火種はくすぶり続けているのだ。

いまはもう平和な時代になったとはいえ、この監視塔なんかにちょっと緊張感がただよう。

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ナッコン村は採石場側になる。

村からAH1号線の方向へ抜けようと思うと、この工場の私有地と思われる採石場の道路を通行しなければならない。

いや、通行しなければならないと言うと通行していいように聞こえるが、たぶん通行してはいけないんじゃないかと思う。

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ナッコン村方面の村人のオートバイが工場の中へ入って行くのを見て私もなんとなく真似をしたのだが、途中で村人を見失って、そのまま工場の正門まで行ってしまった。

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門番「アンタ~どこから来たの? ここはダメだよ」

私「いや~ちょっと迷子になってぇ、え~と、ミャインカレイへ行きたいんですが」

門番「しょーがないな、門を開けてやるから出ろ、1回だけだからな」

みたいにお小言をいわれて通してもらったことがある。実は正門に回らずに工場の敷地から出る方法があったのだ。いまはその抜け道を覚えたので平気で通行するようになったけど・・・。

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工場の敷地には引き込み線の跡がある。

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鉄道はモン州のタトンから、ミャインカレイまで続いていて、レールも盗まれずに残っているが、所々洪水で橋が落ちたりしているので現在は列車は走ることはできないだろう。

(2019年03月16日訪問)