ヤテピャン洞窟からの帰り道である。この道を通るのは6年ぶりになる。
6年前、着任した私を歓迎するためにミャンマー人スタッフが市内の名所を案内してくれた。外国から来客があったときには同じ場所を案内するのが通例になっているのかもしれなかった。私はまだ完全に「お客さん」で、彼らの運転する車に乗せられ、どこに連れていかれるのかもわからず、必死になって窓の外の風景を観察していた。
そのころはこの道路は未舗装で車も揺れたから、車窓から写真を撮るのも容易ではなかった。しかも車窓から写真をとるとき、被写体が見えてからシャッターを切ったのでは遅いことがほとんどなのだ。
そんな中、頑張って撮った写真の中にこの土で出来たパゴダがあった。
まだカレン州のことをほとんど知らなかったときでも、このパゴダは珍しいと思ったものだった。だからその時の気持ちはハッキリと思い出せる。
それから6年たって、この国を離れようというときに、この小さなパゴダの前に立っている。
不思議なものだ。6年前このパゴダを珍しいと感じた気持ちと、いま改めてこのパゴダは珍しいと判断する気持ちは、あまりにも違うのである。
———「解像度が違う」と言ってもいい。
6年前に見たときに感じた珍しさは確かに強烈ではあったが、言葉にできないような興奮でしかなかった。
それがいまこのパゴダを見て「どこが珍しいのか」「なぜ珍しいのか」「何を写せばいいのか」といったことが、我が事のようにクッキリと理解できるのだ。
そう、あのときカレン州で見るもの、聞くものには映像の中の情報のような距離感があった。
それがいまでは日本で自分が暮している町で見るものと同じようにリアルに接し、立体的に観察し、整然と言語化できるようになったのである。
この6年で私がカレン州で残した仕事の成果とは別に、この州のいろいろな場所を知り、情報発信できたことも、もう一つの成果だと思っている。
もちろんカレン州にはまだまだ見どころがあり、すべてを見尽くしたわけではないが、パアン周辺の日本語の観光情報としてはこれより詳しいものはしばらくは書かれないだろう。
最後に紹介するのが、このささやかな手作りのパゴダになったことは6年間のミャンマーでの体験の「始まりと終わり」を象徴しているような気がする。
振り返ればそこには椰子の林と石灰岩の山々がある。でも私は明日この国を去る。そのことに名残り惜しさは感じない。するべきことはすべて終えたのだ。
(2020年02月13日訪問)