中山の歌舞伎舞台のすぐ近くに、もうひとつ現役の歌舞伎舞台がある。
肥土山の歌舞伎舞台だ。
中山が10月に上演されるのに対して、ここ肥土山は5月のGW中に上演される。
舞台は河岸段丘の斜面を利用して作られているが、通常時の駐車場は段丘上の県道に面してあって、そこから段丘を下りていくようになっている。
周囲は常緑樹のいわゆる鎮守の森。
歌舞伎舞台は「離宮八幡神社」という神社の拝殿前にあるのだが、ほかにも境内にはたくさんの末社がある。
村の小祠をあちこちから集めてきて合祀した神社のような感じ。
末社のアパート。
このアパートの中でここだけが極彩色。
木鼻と蟇股が後補なので注意しないといけないが、それ以外の部分は江戸初期か安土桃山くらい行きそう。
新しい。戦後のものだろう。再建したのか。
太田伊左衛門典徳翁・
こちらは大正~戦前くらいか。木鼻が透かし彫りになっているのがおもしろい。
鏡餅みたいな謎の丸石様。
右隣りのアパートへ。
左から、火霊魂之神・秋葉神社、金刀比羅神社・大物主神、天照皇大神、豊受大神、荒魂大神・荒神社、宇迦御魂神・稲荷神社、天満大神社・菅原道真。
こちらは名前を確認し忘れ。
手前には七福神巡りの寿老人が設置されている。
さらに右隣にこの神社の本体である、離宮八幡神社がある。
こちらの主神は、応神天皇・神功皇后となっている。
拝殿は切妻平入りで、渡廊が背後にのびて、一段上の本殿へと続いている。
本殿は覆屋の中なので確認できない。
段丘の上から下りてきたので、八幡神社からは舞台を見おろすかたちになる。
ぱっと見て、まず気付くのは2階桟敷の席(高座というらしい)が、中山では右側だったのが、肥土山では左側にあること。
花道は取り外し式で、ホゾ穴の位置からみて舞台の桟戸の右、一番左の雨戸のところみたいだ。
一般論として、歌舞伎舞台の席順は舞台左の1階桟敷がよい席で、左の2階桟敷もよいとされている。ここでは1階には桟敷がないので、来賓席は左の2階桟敷になるのだろうか。
左の2階桟敷がよいとされるのは花道に近いからだが、このくらい高いと花道が真下になってしまい見にくいのではないか。
升席(平場)は階段状になっている。
この3~4段目あたりの左側が花道にも近く、舞台も見やすそう。
舞台は雨戸が閉まっていたが、わずかなすきまから中を見ると襖絵のようなものが見えた。
芝居小屋は明治33年に改築されたもので国の重要有形民俗文化財に指定されている。建造物としての国の重要文化財が指定されてもおかしくない物件と思うが、毎年使うものだからモノとして指定されて修理も簡単にできなくなるよりは、民俗文化財のほうがいいのかもしれない。
いずれにしても実際に使ってナンボの劇場だから、文化財として指定されることは重要ではない。
舞台から升席方向を見た様子。
右奥が理由八幡神社拝殿である。
神社の正面側へ出てみよう。
水盤舎があった。
収蔵庫。
台本約300冊、衣装等約620点を収蔵しているという。
神社の正面から出ると周囲は水田になっていて、西には小豆島大観音が遠くに見える。
舞台を裏側から見る。境内の全景。
境内にはほかに
大鐸村はこのあたりの旧地名。
護国神社の近影。
(2006年10月09日訪問)