次の磨崖仏「
大分川右岸の丘陵にあるのだが、広瀬橋を渡って北側から丘陵を巻いたので山に登ろうとして少し迷った。府内大橋側から行けば道路標識があるので迷うことはないだろう。小学校や幼稚園へ登る車道に入って、水道施設のところに車2台くらい置ける駐車スペースがある。
水道施設の横を降りていくというアプローチがあまりにも伽藍石仏と似ているので記憶が混乱しそう。でもエリアは全然ちがう。
このように山の上から降りていくというのが、この史跡の正規ルートなのだろう。
山のふもとの住宅地から参詣するルートもあるようだが、たぶん駐車場がない。
100mほど歩くと最初にあるのが本尊のなくなった龕。
側面に宝塔が刻まれている。
これまでもときどき無人の龕があったけど、何なのだろう。廃仏毀釈とかで無くなったのか?
この曲の石仏は、これまで見てきた磨崖仏とかなり様子が違う。
横穴墓みたいな深い穴の中にあるのだ。そのため、覆屋がなく、天井から雨水がしみ込まないような屋根がついている。
洞窟の入口には二天が彫られている。
右側は兜跋毘沙門天。
案内板によれば鎌倉時代の作とのこと。
左側は持国天。こちらも兜を被っている。
洞窟の内部。
深さは奥行き7mほどで、中央に釈迦如来と思われる座像が安置されている。
像はとても大きく、全体で3mくらいある。これは崖から彫り出されたものではなく、パーツ分割された石像だ。年代は鎌倉後半~室町と推定されている。
磨崖仏というよりも洞窟寺院といった感じだ。
その左隣にももうひとつ洞窟のような龕がある。
こちらは、勢至-阿弥陀-観音の三尊形式。
岩の材質は礫の混ざった硬めの岩だ。火砕岩か。
平安時代の作と考えられているが、剥落も多く造形ははっきりしない。
像の厚みはあまりない。
住宅地側から登ってくるとこんな参道になっている。
文化財の看板。
(2012年03月26日訪問)