徐福の宮

徐福が上陸した地という伝説がある。

(三重県熊野市波田須町)

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徐福(じょふく)が熊野に上陸したとされる場所は和歌山県と三重県にあり、それぞれに徐福の墓という記念碑が建てられている。和歌山県は新宮市の阿須賀神社付近、三重県は熊野市のJR波田須駅付近である。

きのうは新宮市の徐福の墓を訪れたので、きょうは熊野市にある徐福の墓に寄っていくことにした。

鬼ヶ城の付近からリアス式海岸のウネウネとした国道を進む。

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徐福の墓の入口には町おこしの箱モノみたいな小屋があり目印になっている。

道の反対側に駐車場がある。丁寧に並べたら5~6台は止められそうだし、国道もほとんど車が通らないからいくらでも路駐できる。

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小屋の横から急坂がある。四輪車の轍が付いているが、狭そうそうなので歩いて降りることにした。

歩いてわかったのは、途中かなり狭いカーブがあるけれど軽トラだったら楽々降りられる。でも5ナンバーのリッターカーなどは進入するのはやめておいたほうがいいだろう。

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少し降りると、遠くに赤い鳥居が見えた。

あそこまで行くのか・・・ちょっとひるむ。行くだけじゃなくて帰りもあるからね。標高差は60~70mといったところ。

この湾に徐福が上陸したという伝説があるのだ。ここの町名「波田須町(はだすちょう)」の語源は「秦住(はたす)」が転じたものだという。徐福に不老不死の妙薬を探しに行かせたのが秦の始皇帝であったためそのような名前になったとされる。徐福はここで帰化して窯業など大陸の技術を残したという。

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途中、墓地があったので中を通ってショートカットした。

馬鹿正直に車道を歩くととんでもない遠回りになるから、徒歩で行く場合は墓地の中を通るのがマストだ。

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墓地のあたりから見た徐福の宮。

このこんもりとした小山を徐福は蓬莱山と見なしてこの場所に上陸したというのだ。

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急斜面に家が密集する矢賀集落。空き家っぽい家はない。JRの駅も近くて南向きで住みやすいのかな。

あるいは村を出るときには家を壊していくというような掟があるのかもしれない。

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徐福の宮に到着。

鳥居があるが別に徐福が神様になったというわけではない。ここはもともと稲荷神社だった場所に、徐福が合祀されたようなのだ。

何だかガイドで見た写真と違う。クスノキがだいぶ貧相になっているし稲荷社の社殿が無くなっている。どうやら半年ほど前に祠は撤去されクスノキも刈り込まれたようだ。こうなる前に来たかった。

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案内板。

いつこの場所に徐福が合祀されたのかは簡単にはわからないような書き方。それは新宮の徐福の墓もそうだった。新宮の墓は昭和15年のようなので、ここもあまり古くないのではと想像する。

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これが徐福の墓。

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社殿がなくなったいま、このクスノキがご神体になったのだろうか。

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徐福の墓から見た湾。

船着き場などはないからこの集落は漁業とは無縁のようだし、そもそも海岸線まで降りるのも容易ではなさそう。

3千人以上の家臣を連れていたとされる徐福が上陸するにはあまり向いていない海岸だ。

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なお、徐福の宮にも駐車場があった。調べてみたらJR波田須駅方面から狭いながらも車道が通じていたのだ。こういうことは来てみないとわからない。

国道から徒歩で降りても途中は全然楽しい場所ではないから、車で駐車場に直行するのがいいと思う。

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これからあそこまで登り返さないといけないのか・・・。

(2024年12月16日訪問)