東武越生線の西大家駅から北へ行ったところの高麗川に森戸橋という抜水橋がある。
この橋にまつわるとりとめもない話をこれから書く。
私が大学時代の4年間を川越市で過ごしたことはこれまでも何度か書いている。そのころの足は自転車かオートバイだった。あるとき越生方面へ遊びに行った。目的地は越生梅林だったか龍穏寺だったかもしれない。その帰路、毛呂山町あたりから川越方面へ向かって適当に走っていたら、小さな沈下橋を通ったという記憶があるのだ。橋の周囲はあまり家がないようないススキっ原みたいな寂しい場所で、橋桁がコンクリート製の欄干のない短い沈下橋だったような情景と、そのあと西大家駅付近を通ったようなおぼろげな記憶が残っている。そのころはデジカメもカーナビもGPSロガーもないし、いまのように帰宅してからパソコンで地図をたどって記憶を再確認するということもなかったから、そのまま記憶に留めただけだった。
私は就職で川越を離れると、都内の音羽、高円寺、大森、横浜の綱島に住んだ。川越を離れてから10年以上の時がたっていた。
横浜ではクルマも買ったのでたまには埼玉県の田園地帯を訪れる機会を得、そのころから「あの沈下橋の記憶はどこだったのだろう」と気になっていた。と同時に「いつかあの橋も含めて入間川水系の沈下橋を巡ってみたい」と考えるようになっていた。
でもその後、関西に転居したからそれも叶わなくなった。それからさらに20年が過ぎた。沈下橋の記憶もだいぶぼんやりとしてきたが、時々思い出してはあの小さな沈下橋はたぶん森戸橋だったのだろうと納得していた。

2022年12月。その記憶をはっきりさせるために森戸橋へ来ている。
もちろん長い歳月がたっているから周囲の状況は変わっている。
でも越生線西大家駅のあたりの込み入った道路の雰囲気はあまり変わっておらず、それからすればやっぱりあの沈下橋は森戸橋だったと考えるしかない。

森戸橋は立派な抜水橋に変わっていた。
2022年現在、私がカーナビ代わりに使っているGoogleMapsにはまだ旧森戸橋が写っていた。

実際には2021年末からの開始された工事で旧森戸橋は撤去されて、2022年の年末のいま、もうその面影はまったく無くなっている。
だがどうもおかしい。
こうして橋のたもとに立ってじっくりと思い出してみると、記憶にある沈下橋のあった場所はこんなに水面が広くなかったし、橋長も短かったような気がするのだ。

実を言うと旧森戸橋も何度か通ったことがある。
そのときは漠然と「私の記憶にある沈下橋は、旧森戸橋よりもさらに昔にこの場所にあった橋なのだろう」と考えていた。

そこで改めて、丁寧に調べてみた。
国土地理院のサイトで見られる過去の航空写真で1975年の森戸橋を見ると、すでに抜水橋になっている。
私の記憶にある小さな沈下橋とはどうも違うようだ。

・・・あれはいったいどこだったのだろう。
別の場所の沈下橋の記憶が森戸橋とごちゃまぜになったのか、それともあの記憶自体が夢かなにかで見たものなのか。
いまだにモヤモヤしてすっきりせず、結論が出ないでいる。
旧森戸橋はGoogleストリートビューでいまでも半分だけ渡ることができる。
橋長が長いのにクルマが離合できないというインパクトのある橋だったので、それが引き金となって他の橋の記憶と混濁したのかもしれない。
ちなみに、この旧森戸橋のストリートビューはいつまで見られるのかわからない。
なぜなら旧森戸橋と新森戸橋は厳密には別の位置に架橋されているので、もしGoogleが道路座標の精度を上げたら、旧森戸橋の上の道をポイントすることができなくなるだろうからだ。
東日本大震災の津波被災地の被災以前のストリートビューはあったと思われるが、再開発で道路が大幅に附け替わった地域では過去のストリートビューが見られなくなっている。
(2022年12月08日訪問)