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雑草をむしり取ってみるとそれは文字碑だった。
「三石橋供養塔」と書かれている。これ「橋供養」だ。
GoogleMapsには「馬頭観音」ってラベルがついてるけど、馬頭観音とは思えない。
橋供養は当サイトでは初出になる物件。「橋のお墓」のような語感なので橋を撤去するときに立てるのかと思いがちだが、本来の目的は橋の完成時に安全と長命を願って立てられる碑だとされている。
 
埼玉県には橋供養碑が多く、江戸中期から明治にかけてて立てられた。碑文には「石橋供養」と書かれているものが多いという。
なぜ「橋供養」ではなく「石橋供養」なのかは謎だ。木造の桁橋に対して碑は立てられなかったのか? だとすれば橋供養を単純に橋の完成記念碑と言い切るには少し引っかかるところもある。
その疑問に対して、自分なりの感触を持つにはもう少したくさん橋供養碑を見てみないいけないだろう。
 
この碑の前には小さな沢があり、小川が流れている。
かつてはこの場所に小さな橋がかかっていたのだろう。「三橋」とあるくらいだから、3基の橋があったのか?
 
江戸時代にそれが石橋だったのか、土橋だったのか、木造の桁橋だったのかはもうわからない。
現代は道路が覆っているから、あえていえば土橋か。
 
橋の下流側にはポンプ小屋と思われるものがある。
 
小屋の手前に複雑な水路みたいな構造がある。何なのだろう。
(2025年09月11日訪問)

