内手の流れ橋

橋台が流され復旧しなかった流れ橋。

(埼玉県東秩父村坂本)

東秩父村を横断する県道11号を漠然と道なりに西進していくといつのまにか県道は294号に替わり、小さな峠を越えて寄居町へ出てしまう。寄居町からさらに円良田湖を抜けて児玉まで行くルートは高崎市⇔小川町を移動するときの裏道でもあるから群馬県民は意外に通っているのではないだろうか。

東秩父村で槻川をたどるためには村役場を過ぎて少し行ったところにある落合橋の交差点を左折して、南の谷に入らなければならない。そこから上流は、小川町から続いてきた谷底平野の風景から急変して深い山里の風景になる。

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その上流部分の最初の集落、落合に流れ橋の跡を見つけた。

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橋は2019年の台風で損壊したまま復活していなかった。

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近所で話を聞くと、この橋の入口にはバス停があって、バスで訪れるハイカーが関東山地の縦走路へ登るときに通る橋だったそうだ。

台風で橋桁が流されただけでなく、左岸側の橋台部分も流されてしまった。以前の村であれば村人が力を合わせて復旧できたのだが、いまは過疎化と高齢化で地域の自助では流れ橋を維持できなくなってしまった。

自治体に陳情したがこの橋はもともと自治体の管轄外の勝手橋だったらしく復旧工事をしてもらえなかったのだという。150m下流の抜水橋の坂本橋に公衆トイレも設置したのでハイカーはそちらをを通ってほしいといことらしい。

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この橋桁の板を見るに、雨の日などは滑りそうで観光客が転落する危険もあって元々自治体としてはあまり通ってほしくない橋だったのかもしれない。

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大岩のうえに橋脚が乗っていて、かなり立派な、スリリングな流れ橋だったと想像できる。

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鉄骨がへし折れている。水害のすごさがわかる。

ここには手すりか何かがあったのかな?

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左岸側の橋台があった場所はもう痕跡がなく、どのような状態だったのかわからなくなっている。

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最近、誰かがより簡素な橋を水面ギリギリに架橋したようだ。

流されてしまっているが・・・。

(2022年10月25日訪問)