巡礼型五百羅漢堂
「巡礼型五百羅漢堂」とは、五百羅漢をまつるお堂の一形態。五百体の羅漢像の全数を一覧できるように一ヶ所にまとめて配置するのでなく、参詣者が定められた順路にしたがって堂内を歩き回ることによって少しずつ羅漢像を拝観できるように設計されたものをいう。
「巡礼型五百羅漢堂」は本サイトの造語であり、巡礼型でない普通の設計の堂を「集合型五百羅漢堂」と呼び分けたいと思う。
巡礼型五百羅漢堂では参詣者は手すりで仕切られた通路を歩くことで羅漢像を巡拝することができるのだが、通路は階段や太鼓橋で立体的に構成され、入口から出口まで同じ場所を通らずに一巡できるようになっているのが特徴である。また、通路には下足のまま参詣可能なルートと、下足を脱いで参詣するルートと2系統があり、互いのルートも交わらないように立体交差しているという複雑な構造を持つ。このような設計は今日の美術館や博物館のプランに近いものであり、江戸中期にこのような合理的な設計の仏堂が存在したというのは驚くばかりである。しかも実際の巡礼型五百羅漢堂に参詣してみると、そこにあるのは単なる合理性だけではなく、むしろ、迷宮を巡りながら仏像を拝観することで非日常的な体験をさせるという宗教的演出をも意図しているように思えるのである。
巡礼型五百羅漢堂は1726年、江戸本所羅漢寺に建造されたものが最初とされる。(本所羅漢寺の五百羅漢堂を設計した禅僧の象先は、のちにさざえ堂も考案している。)以後、どのような展開を遂げたのかは詳らかではないが、名古屋市千種区の大龍寺五百羅漢堂にその名残を見ることができる。大龍寺の創建は1725年だが、五百羅漢堂が建立された時期はそれよりも下る(〜1780年頃まで)であろう。
以下に大龍寺の構造の概要を示す。
大龍寺の設計は、江戸名所図会に描かれている本所羅漢寺の羅漢堂の構造とおおむね一致している。一部に差異はあろうが、本所羅漢寺もこれと類似の設計であったろうと思う。