集合型五百羅漢堂
五百羅漢をまつるお堂の一般的な形態。
別項で説明した「巡礼型五百羅漢堂」では参詣者は定められた通路を移動せざるをえないのに対して、本稿で述べる「集合型五百羅漢堂」では参詣者は自由に堂内を移動することが可能である。もちろん五百羅漢すべてを拝むためには端から順に参詣する必要があり、集合型五百羅漢堂においても自然発生的に参詣順路は発生する。しかし巡礼型と決定的に異なるのは、集合型五百羅漢堂では参詣者の移動経路が参詣者の自由にまかされており、建築の構造によって定義されていないということである。
集合型の空間構造を持つ仏堂は他にもあり、十王、十六羅漢、三十番神、三十三観音、百観音、千体地蔵などを配するものが考えられる。これらを含め「集合型の仏堂」と一般化することができる。しかし私の知るかぎりでは、これら一般の集合型仏堂は、五百羅漢を配する堂に比べ構造も単調である場合が多い。
集合型五百羅漢堂のさまざまな配置方法を以下に示す。
最もシンプルな構造は、堂内の突き当たり1面もしくは左右の壁面も含めて3面に羅漢像を配置するというケースである(上図外周型)。この構造では参拝経路は時計回りの単純な旋回となるであろうが、それ以前に、堂内に足を踏み入れたとたんに全ての羅漢像を見渡すことができるため、一つ一つの羅漢像を拝んでゆく楽しみが減少してしまう。場合によっては堂の中央部に立ち、まったく移動することなしに全ての羅漢像を見渡してそれでよしとしてしまう参詣者もいるだろう。この点で、外周型のプランは一つ一つの羅漢像を拝ませるという機能性が低いといえる。
外周型と反対の構造を持つのが島型の配置である。仏像を配置する祭壇は壁から離れた位置に一つないしは複数置かれ、参詣者はその周囲を廻って仏像を拝むというものである。(上図島型)。島型では祭壇の側面や背面に配置された羅漢像を拝むためには、参詣者が祭壇に沿って移動せざるをえない。この点において島型は一つ一つの羅漢像を拝ませるという機能面では外周型よりは優れている。しかし、島型配置では祭壇が一つであればいいが、もし上図の玉宝寺のように複数の島からなる場合(五百羅漢は数が多いので必然的に複数の島になってしまうのだが)、移動の過程でどうしても同じ空間を通らざるをえない。ともすれば、参詣者は同じ道筋を戻らず、全ての羅漢像を拝まない可能性も生じる。この点で島型(とくに複数の島になっている場合)は、全ての羅漢像を拝ませるという機能において充分とはいえない。
こうしてみると、一つ一つの仏像を漏れなく拝ませるという巡礼型五百羅漢堂の設計プランの利点がはっきりとするであろう。