蚶満寺・象潟

芭蕉が見た小島は今では隆起して塚になっていた。

(秋田県にかほ市象潟町象潟島)

蚶満寺は象潟町にある‥‥と書かれても、普通に読める人はいないだろう。蚶満寺は「かんまんじ」、象潟は「きさかた」と読む。「蚶」とは「赤貝」のことで「きさがい」とも読める。古い時代には「象潟」は「蚶方」と書かれ、寺名は「蚶方寺(きさかたでら)」であったという。それがいつのころからか「蚶万寺」と書き間違えられ、さらに「蚶満寺」と書き換えられ、一時は「干満寺」と書かれたこともあるという。こうなるともう訳がわからない。早い話が「象潟」と「蚶満」はもともと同じ言葉であったということだ。読めないだけでなく、なんとも面倒な地名なのだ。

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さて、まず蚶満寺から見てみよう。

堂宇は八脚門、本堂、庫裏、鐘楼。八脚門は正面の脇の2間が板のはめ殺しになっていて珍しいタイプだ。海に面しているため、仁王を塩害から守るための構造であろうか。

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八脚門を入ってしばらく進んだあたりで入場料を払って寺域に入る。境内には老木や石仏が点在し、散策によい。

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本堂の裏手は田んぼになっていて自由に出入りできるので、参拝客はそのまま象潟見物に行くことができる。

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蚶満寺の周囲は「象潟(きさかた)」と呼ばれる景勝地である。

象潟はかつて宮城県の松島と並び賞され、小島が点在する入り江であった。松尾芭蕉が奥の細道で「象潟や雨に西施が合歓の花」という歌を残している。

ところが今から約200年ほど前に海底が隆起してなんと陸地になってしまった。

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今は、もともと水面だった部分が田んぼになり、島だった部分が塚となって残っている。陸地になって200年しかたっていないために地形が不自然で、島だった場所は一目見てわかるのがおかしい。

私はこの景色はけっこう好きだ。これがもし実際に海に小島が浮かんでいたのだとしたら、かえってつまらなく感じてしまうことだろう。「稲穂と塚」を「水面と小島」に見立てて眺めることで、現実の風景以上の趣が湧いてくるのだ。この象潟の奇観の楽しみ方は、日本庭園の楽しみ方に似ていて、見えるものを別のものに見立てる、つまり見えないものを見る、ということだといえよう。

(1999年08月23日訪問)