赤坂河港

かつて栄えた河港も川の付け替えで見る影もない。

(岐阜県大垣市赤坂町)

大垣市中心部から北西5キロほどの場所に赤坂という地域がある。後のページでも説明するが赤坂は中仙道の宿場町であり、現在は大垣市に編入されているが、城下町の大垣とは独立した町を形作っている。その赤坂町にも河港がある。大垣市船町河港がある水門川とは別の川で杭瀬(くいせ)川という川の上流部にあたる。現在は、杭瀬川の川筋が付け替えられて小さな用水路のようになっているが、中仙道と交差するあたりにわずかに河港の面影が残っている。

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赤坂は宿場町というだけでなく、大理石、石灰の産地である。これらを運び出すために明治から大正にかけては400艘以上の船が運行したというから、赤坂河港は相当に大きな港だったのだろう。

舟運というと大昔の話のように聞こえるが、実際には昭和初期まで行われていたのである。江戸時代の宿場町の風情は今でも感じられるのに、ほんの半世紀前の舟運の名残がほとんど残っていなかったりするのだから、旅をするときは神経を研ぎ澄ましていなければいけないと思う。

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ホタルの名所だったという杭瀬川の水は今は汚く、アオコを防ぐためかエアレーション設備があり、荷揚げ場の雰囲気がぶち壊しだ。

舟運を成り立たせるためには、川の水量が確保できるような治水を行なわなければならない。江戸時代から水量を確保するためにいろいろな努力がなされたはずであり、人々も川の水には関心が深かったに違いない。しかし輸送の手段が鉄道、自動車と変わるにつれて大垣の人々と川のつながりは薄れて、川は単なる排水路、ごみ捨て場になってしまったのだろう。

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中仙道の名残である常夜灯。その先には旧赤坂警察署の建物(再建)が見える。

この建物は、もともと200mほど西にあったもので、その後、金生山(石灰岩の山)に移築され化石資料館として使われていた。化石資料館の建て替えで取り壊され、今度は同じ設計のまま郷土資料館として中仙道沿いに再建された。

新築なので面白みはないが、3階の望楼部にまで登らせてくれるのはちょっと嬉しい。

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写真は河港から大垣市方面(下流)を見た杭瀬川の様子である。

ほんの半世紀前まで水運で栄えた川が、本流の付け替えでどのように変貌してしまうのか知るうえで興味深い景色だ。

私は旅をしていて古い道などを通ったときに、そこがかつて栄えた時代を思い描くことがある。たとえその道の周りの様子がすっかり変わっていても、古い道には今でも目に見えない何かがあって容易に昔の姿に思いを巡らすことができるのだ。その目に見えない何かとは、交通手段が移り変わっても途切れることなく続いてきた人の往来の気配とでも言えばいいだろうか。

だが水路としての川は舟運が途切れてしまえば人の往来はなくなり、船を上り下りさせるための施設や、荷を積み下ろしするための空間は他に転用されずに跡形もなく消えてゆく。だから半世紀前まで舟運で栄えた川にも今一見してそれとわかるような風情はない。それでも私は何か目に見えないものが感じられはすまいかと思って、この光景を永いこと見つめていた。

(2000年03月18日訪問)

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standards (編集)
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