関ヶ原と聞いて誰もがまず思い浮かべるのは関ヶ原の合戦であろう。400年も昔のたった一日の出来事が、関ヶ原町という土地をいまでも支配し続けているといっても過言ではない。その関ヶ原町に「関ヶ原ウォーランド」はある。
「ウォーランド」‥‥‥、一瞬耳を疑うようなベタな名前である。関が原町といえば関ヶ原の合戦。だからウォーランドというそのまんまなテーマパークなのである。
当日は3連休の2日目であったが、ときどき小雨もぱらつき観光客はまばらだった。
さっそく入場料を払って入場する。
ウォーランドの見ものは、コンクリート像の野外展示である。像の作家は、中京地区に多くのコンクリ仏を残した浅野祥雲。
内部は学校の敷地2校分くらいの広さだろうか。その敷地全体にわたって数えきれないほどのコンクリート像が置かれており、随所で死闘を繰り広げているのだ。
タイガーバームガーデンのサムライ版という感じの異次元空間が展開している。ペンキは時々塗り替えられているのか、人形たちの状態は上々。
地には関ヶ原方面の地形や街道(中仙道、北国街道)が大ざっぱに再現されており、石田、小早川、徳川などの陣地が合戦時の陣容にもとづいて配置されている。
像の造形はすばらしい。躍動的でまるで動いている一瞬を写真に写したよう。
東軍の陣地。
主だった武将には全て立て札がついているので、自分の知っている武将を探すのが面白いかもしれない。
西軍の陣地では大谷吉勝という武将が今まさに切腹しつつあった。横で見取っているお坊さんには祐玄坊という立て札が立っている。
この野外展示では所々でスピーカーから合戦の解説が流れているが、どうも心情的には西軍の味方のような感じだ。
写真は首実検を行なう家康の元に運ばれている首。このエリアはひときわ凄惨な空間になっている。
この時、観光客は私を入れて7人。そのうち2人は知らずに入ってきてしまった若いカップルで彼女のほうは目いっぱいひいていた‥‥。
免疫がないとひくだろうな~。
無数の武士たちのなかに武田信玄の亡霊が紛れ込んでいる。
立て札には「我こそは武田信玄の亡霊じゃ。もう争いはやめい! ノーモア関ヶ原じゃ!」‥‥‥この施設のオーナー、よっぽどつらい体験をしたのか‥‥‥。
はっきり言ってこの施設、もう無くなっているのではないかと、行くまではかなり心配していた。
これほど思い込みのキツ~イ、濃いテーマパークは滅多にないのでぜひいつまでも続いて欲しいものである。
(2000年03月19日訪問)