谷後の箱水車

山の中の一軒家の庭にある。母屋は赤城型民家だ。

(群馬県渋川市村上)

15年前に来たときには、原という字にも水車小屋が残っていた。その小屋は箱水車ではなく普通の水車小屋だった。今回その小屋を探したのだがどうしても見つけることができなかった。ここではないか、という場所に行ってみても道路が拡張されたためか、小屋の跡も取水路の跡も見当たらなかった。

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最後の水車の位置もおぼろげな記憶が頼りだ。杉木立の中の山道を登ると、突然開けた場所に出て、ぽつんと一軒だけの農家がある。どこか世を捨てた桃源郷のような雰囲気の場所だった記憶が残っている。

記憶を頼りにその農家にたどり着く。最後の箱水車はこの一軒家の庭先にある。

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以前うかがったときにはご主人から、この水車を作った水車大工のことや、箱水車で精米すると時間はかかるが機械精米と違って熱を持たないので美味しくなるというような、水車小屋オーナーならではの話を聞くことができた。

今回はもう暗くなっているので、訪問するのははばかられた。なにしろ近くには他に全く人家はなく、偶然通りかかりましたという言い訳は通用しそうにないからだ。

水車小屋はまだ健在。手前の小屋がそうだ。水輪は確認できなかった。

水車の話題ではないが、参考までにこの農家の母屋の形式についても触れておく。母屋は寄棟の茅葺き屋根だが、2階部分屋根の南側に切り込みがあるのが見えると思う。これは屋根裏でも蚕を飼えるように採光と通風のために作られた開口部であり、江戸末期の建築様式である。開口部の作り方にはこの家のように切り込ませる形式と、庇をつけて持ち上げる形式がある。前者を「赤城型」、後者を「榛名型」という。この形式についてはいずれまた機会があれば具体的に説明したいと思う。

この日はこれでおしまい。岩井洞ドライブインで買ったドライフルーツやピーナッツをかじりながら家路についた。

(2001年04月01日訪問)

水車の歴史: 西欧の工業化と水力利用

単行本 – 1989/8/1
T.S. レイノルズ (著), 末尾 至行 (翻訳), & 2 その他

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