弘法寺

かつて西の高野山と呼ばれた大寺。今は荒れている。

(岡山県瀬戸内市牛窓町千手)

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邑久町から再び牛窓町へ戻る。と言っても、弘法寺(こうぼうじ)があるのは岡山市との境界に近い場所だ。

県道岡山牛窓線の道沿いに朱塗りの二重門が建っている。二重門をくぐる道が本来の街道なのかもしれない。今はあぜ道のような荒れた道になってしまっている。

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弘法寺の境内は山の上にあり、山門からは離れている。途中、東寿院、遍明院という子院の前を通って山上へと向かう。

左写真は参道が東寿院の前を通過し、遍明院の入口にさしかかったあたり。奥に二重門が見える。

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参道は途中から草が生えていて、この先に寺があるとは思えないような荒れようだ。

実は弘法寺は昭和42年に本堂、多宝塔等を焼失し、現在もまだ復興していない。開山は空海で、かつては西の高野山ともいわれる一大道場だったというが、その大寺もいまは夏草に埋もれる寸前である。

常行堂のすぐ近くまで薮が迫っている。(左写真)

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阿弥陀堂。大仏殿である。

裳階着き重層の堂で、2層の部分には小窓がついていて、ここを開けば大仏の顔が見えるという構造になっている。大仏殿マニアにはたまらない、本格的な顔出し系の大仏殿なのである。

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内部はこんな感じになっている。

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大仏の顔が小窓の高さにあることがよくわかる。

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写真左は経蔵か。内部には厨子が置かれていた。

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写真左下は山王社。かなり荒れている。

歴史上いくつもの大寺が山野に還ってきたことを私たちは知っている。だがいまその様子を想像するのは難しい。それは戦後生まれの私たちが、歴史上価値のあるもの、卓越したすばらしいものが理不尽に跡形もなく消えてなくなるという実経験を持たないからだ。

しかし、この寺は現在進行形として山野に還る一歩手前まできている。こんな提案は失礼かもしれないが、大寺がどのように滅びるのかを観察する教材としてこのまま山野に還してはどうだろうか。

(2001年04月30日訪問)