駐車場にはお焚きあげ場があり、吹き放ちの信徒休憩所のようなものがあった。“ようなもの"としか言えないのは、福田海が寺でも神社でもないからだ。福田海は明治33年頃、中山通幽という人が始めた宗派で、修験道の一種と考えてよいだろう。
「宗教年鑑」では「仏教」の「その他」に登録されているようなので、一応ここでは寺ということにしておく。
境内には子院らしきもの(写真)、宿坊らしきもの、護符売り場などがある。入場料は100円で護摩木が1本ついてくる。
まったくひと気がなく、勝手に参詣していいのか不安になってくる。なんだか怒られそうな気がしてくる寺なのである。
福田海の中枢施設「中堂」。周囲の石塔は行基の説く弥勒四十九ヶ院浄土説法にもとづくものだそうだ。とても緊張感のある空間だ。
そしてここでのお目当て“鼻ぐり塚"を探して裏の墓地のほうへ山を登ってみた。かなり登ってもそれらしきものは見つからない。全身汗びっしょりになって探していると、墓参の人がいて鼻ぐり塚は庫裏の裏にあることを教えてもらう。
庫裏の前を通って、裏手に進むと途中に高麗寺仁王門跡などという看板があった。鼻ぐり塚のあたりには別の寺があったのだろうか。
鼻ぐり塚付近にあった小堂。棟飾りが牛の角に似せてある。
これが鼻ぐり塚。
もともとは古墳だったようだ。鼻ぐりとは牛の鼻輪。供養のため全国から集められた鼻輪の数は600万個を超えるという。
おびただしい鼻輪に圧倒される。中までぎっしり詰まっているのだろうか。
「ウルトラマン
(2001年05月01日訪問)