岡山市西部の中山という独立丘陵にこの吉備津彦神社がある。その1kmほど西には別に吉備津神社という神社があり「彦」1文字の違いしかないので紛らわしい。
ここは「彦」のつく方だ。
参道にはJR吉備線の線路が通っている。
境内は広々としていて、なんだか夏場にこの神社に小一時間もいたら、全身日焼けしてしまいそうなそんな雰囲気の境内だ。
正面には八脚門の随身門がある。
随身門をくぐると、左手には大きな水盤舎。正面の石段の上には7間の拝殿。
拝殿の背後に、拝殿と同じ規模の社殿が2つあり、中の間で連結されている。早い話、権現造り。
拝殿左側。
拝殿左側には神饌所と宝物館がある。
神様にお供えする食事を準備するための専用の建物。
本殿。巨大な流造の建物だ。江戸期の建物という。
回廊の裏側は信徒の休憩所になっている。禅宗の回廊が移動空間として意識出来るのに対して、どうも神社の回廊はこんなのが多くてそそられない。
本殿の右側の山の中には子安神社。
子安神社の本殿。なかなか流麗な建物だ。
その奥には末社の団地。
妊婦さんがお参りしていた。おばあちゃんも一緒だ。
参道にはぽつんと一軒の茶店があった。
ところで、ここ吉備津彦神社と、このあと訪れる吉備津神社はどちらも
ところがこの吉備津彦神社と吉備津神社は実際に行ってみると雰囲気があまりにも違いすぎる。しかも吉備津神社は吉備津彦命を祀っていると言いながら、温羅一族の怨霊を鎮めるために機能しているようだ。一方、この吉備津彦神社は式内社でいまでも旧官幣社の匂いがぷんぷんしている。
これは想像するに、吉備津彦という名前を隠れみのにして温羅一族を祀る吉備津神社に対抗して、朝廷が力押しで造営したのが吉備津彦神社だったというのが真相ではないか。私が見たかぎり観光ガイドなどにはこの2社の違いはあまり触れていないようだが、どうにもこの吉備津彦神社にはそういう雰囲気がただよっている。
そして、壮大な神社を造営することでは足らず、さらに入念に吉備津彦命を讚えるための物語として「桃太郎」が流布されたのではなかろうか。
(2001年05月01日訪問)
