その陣屋町の中心部の入口。
陣屋町に残された武家屋敷。めずらしく見学しようと思ったのだが休館日のため内部をみることは出来なかった。
門構えも立派で相当の上級武士の住居だったと想像される。
武家屋敷は一軒だけだが、その前の道は陣屋町の雰囲気が濃厚にただよっている。それは、田舎町にしては不自然に広い道路、一軒一軒の区割りが広い、母屋が通りに面していない、といった点から感じ取ることができるのだ。そして突き当りが山になっているとなれば陣屋町の雰囲気は抜群である。
足守藩の陣屋はこの通りの奥右側のほうにあったと思われる。
足守には陣屋町のほかに、街道筋には町家の町並みもある。伝統的な建築の比率はこちらの方が濃密だ。
町家街の長さは500m程であり、この手の町並みとしてはかなり立派なほうといえる。
ナマコ壁の商家が多く、いまでも何軒かは商いを続けている健全な町並みだ。
母屋は通りに面して建てられているのが、陣屋町の町の作りと対照的である。(先に説明したように、陣屋町部分は通りに門があり庭があってから母屋が建てられている。)
途中にあった東光寺という寺。
境内には立ち入らなかったので詳細は不明。
同じく乗典寺。二つの寺は町家街の街道筋に面していて隣り合っている。
町のはずれまで歩いてみた。町のはずれにも桝形の名残が見られる。
帰りはメインストリートと並行に走る裏道を通ることにする。
道幅は狭く、道の両側に水路がある。この水路が暗渠になる前はもっと狭かったのだろう。
裏道にもそれなりに古い家並が残っている。
表通りの商家に比べて軒が低い家が多いのが特徴だ。
表通りの町家の裏側はいまは畑になっていたりする。伝統的町並のバックヤードである。
裏道で見かけたおそろしく軒の低い家。入母屋屋根の一部を切り落として瓦の庇を付けているがもしかしたら以前は庇のところまで茅葺き屋根が伸びていたのかもしれない。
一般に軒の低い民家は古いと判断できるとされる。この家などは江戸まではさかのぼるのではないかと思う。
(2001年05月01日訪問)