目を覚ますと外はまさかの雨だった。それも2日目までのパラパラという降り方でなく本格的な降りで、簡単にやみそうもない。宿を出る足取りも重くなる。
それでも最初の見学場所、玉島の旧市街へと向かう。宿泊したのは玉島市街なので車でわずかな場所だ。玉島はもともと玉島市という独立した市で1967年に倉敷市に合併した。かつては北前船の有数の寄港地として栄えた港町だ。きのうの最後に見た高瀬通しの起点でもある。
同じ倉敷でもアイビースクエアなどがある美観地区とは違ってえらいさびれようで、観光客は私ひとりだった。
しかし観光客こそいないものの、北前船の寄港地だった面影は随所に残っている。
河口の中洲にある市街地の中心部には今もナマコ壁の蔵や廻船問屋の建物を見ることができる。
新町通りにある玉島信用金庫の建物。内部は吹き抜けで2階にバルコニーのある構造。今も信用金庫の店舗として実際に使われているので内部の撮影はためらわれたが、建築当初のまま使われている。
建築年代は大正~戦前か。
港からみて、町並みの奥の突き当りには羽黒山神社の屋根が見えている。
下写真は、港西岸の家並み。虫籠窓の商家が並んでいる。
同じく港西岸の町並み。この辺りは小商いの商家が多かったのだろうか。
港町東岸の町並み。三階建ての民家も見える。
東岸の細い水路に面した家々。
往時には千石船の男たちが遊んだ廓もあっただろうかと、想像をめぐらしてしまうような猥雑な雰囲気の町並みだ。
町並みの背後には船だまりがある。高瀬通しを上り下りした高瀬舟が繋留された場所だろう。またここは河口の防潮水門を閉めたときの貯水池の役割もはたしていたと思われる。
舟運が盛んだったころの雰囲気を残した貴重な風景だ。
(2001年05月02日訪問)