村田町の南北に長い「目」の字状の西の大通り。
通りの西側は丘陵で、丘陵上は村田城跡がある。村田城は伊達家にゆかりのある城だそうで江戸末期まで続いたという。
つまり西の大通りは城の縄張りのすぐ外側ということで、武士のなかでも比較的身分の高いものが住んだと想像される。
写真をみるとまるで郊外に造成された新興住宅地のような感じだが、実際に城下町を見ていくと、本当に上級武士が住んだ場所は現代ではこんな景色になっているものなのだ。
まず道が充分に広く、一軒一軒の住宅の区割りも広いのが特徴である。
こうした広い道はかつては馬場だったのかもしれない。
また、医者、弁護士などの職業の家が多いのも特徴だ。この家などはいかにもかつて医院だったという風情の建物だ。
その一角に、武家屋敷と言われる家が残っていた。
町指定文化財、旧山田家である。
こうして歩道のほうから見ると、周囲は板塀に囲まれ、母屋は庭の奥の引っ込んだところにあり、通りからはまったく中をうかがうことが出来ない。こうした家の建て方は武家屋敷の特徴だと思う。
もちろんその後も人が住んでいたので、建物は相当に改造されている。
だが、これはこのままの形で残したほうがいいのではないかと思う。解体して建てられた当初の姿にまで復元すると、似ても似つかないものになってしまうだろうから。今のままのほうが、歴史が身の回りにどのような姿で残っていくのかというよい学習材料になると思う。
(2001年08月11日訪問)