北上川の支流猿ケ石川を少しさかのぼった山の中腹にある神仏混淆の寺。
参道の入口には辻堂と鳥居があるが、ほとんどの人は気づかずに車で通り過ぎてしまうだろう。今では寺のすぐそばまで車で登ることが出来る。
私も当然、車で上まで上ったが、もし歩いて登ると参道はこんな具合だ。
これだけの石段が造られたというだけでもいかに由緒のある寺なのかがわかるというもの。
境内への入口には土産物屋が2軒。うち1軒は社務所も兼ねていて、RC造の立派な建物だ。
境内に入るとまず熊野神社がある。
その横には相撲の土俵。
ここでは“泣き相撲"という赤ん坊の相撲がある。対戦する赤ん坊に掛け声をかけ、先に泣いたほうが負けとなる。元々は大人の相撲だったが、勝った地区が豊作になるということから争いがエスカレートして流血ざたに発展したこともあり、以来赤ん坊の相撲になったのだという。
土俵には男根と女陰の形をした木が奉納されていた。
そこからさらに右のほうへ進むと、水盤舎(を改装した香炉堂?)と毘沙門堂がある。
もともとここは成嶋寺という寺があり、平安~室町時代に繁栄したが、江戸初期の火災で衰退し今残っているのはこの毘沙門堂だけなのだという
建物は室町後期のもとといわれ国重文。そう言われてみれば確かに虹梁や間斗束などは古さを感じさせる意匠ではあるが、部材は新しくあまり時代を感じさせない。部材だけを見れば江戸後期くらいかとも思わせる。
全体的に見て古いというより洗練されていないという感じの建築だ。
毘沙門堂の奥にももう一つ小さな堂があった。(多聞天堂?)
毘沙門堂の裏の宝物館へむかう途中にあった御味噌奉納堂。内部には毘沙門天の足が納められている。
かつてこの地方には毘沙門天のすねに味噌を塗り付けて祈願するという風習があった。いまでは本尊の毘沙門天と同じサイズに造られたこの下半身に思う存分味噌を塗ることができる。
‥‥‥正直なところ、ばっちい感じがただよう‥‥。
本尊の毘沙門天は奥の宝物館に納められている。拝観料は300円。
平安中期の像で高さは4.7m。旧国宝で現国重文だが、かぎりなく国宝に近い仏像ではないだろうか。
像の形式は
(2001年08月12日訪問)