藤里毘沙門堂。江刺市東部の丘陵地帯にある。
地図上では智福神社とも書かれていて、神仏混淆の寺と考えて良いだろう。
本堂は方3間の寄棟造。
本堂の右側には渡り廊下でつながった社務所兼、神楽殿(?)のような建物があった。
本堂の前には袴腰鐘楼。
本堂の左裏には愛宕神社と蔵王権現堂。
ほかに宝蔵庫があった。
本尊の毘沙門天は境内から少し離れた山の上にある。
時間はもう5時近かったが、管理人さんに連絡してカギを開けてもらった。
これが本尊の兜跋毘沙門天。(ちゃんと撮影許可を得て撮影。)
鉈彫物で10~11世紀のものという。国重文。
毘沙門天の見分け方だが、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天=毘沙門天)のなかでは一番見分けやすく、手に宝塔と戟(げき:槍みたいな武器)を持っているので他の四天王とはすぐに区別できる。そのうち、兜跋であれば地天の手のひらの上に立っているから両足は平行に開かれている。普通の毘沙門天ならば邪鬼を踏んでいるか、岩の上に立っている。また兜(といっても中国の西域の兜で、普通の帽子のようにみえる)をかぶっているのも兜跋の特徴とされ、普通の毘沙門天は何もかぶらずてっぺんで髪を結っているか冠を着けているだけだという。
全身には鉈のあとが残っているのがよくわかる。これが鉈彫(なたぼり)という手法で、関東以北でしか見ることのできないものだ。
いかにも東北の仏像という趣のある像だ。
宝物館にはもうひとつ普通の毘沙門天像もある。こちらは鉈彫ではない。
兜跋との違いを見比べるのにもちょうどいい。(戟と宝塔は失われているが。)邪鬼を踏んでいるので片足をあげるようにして立っている。
この像は県文だが、平安時代の像で兜跋像よりずっと優雅で洗練されている。これが藤原文化というやつか。手が欠けてなければ国重文になっていたかも。
もっとも鉈彫の兜跋と並べるとインパクトは弱くなってしまう。
同じく宝蔵庫にあった鉈彫の僧形像。
地蔵菩薩ではないかと思われるが、破損が著しく断定はできない。
同じく、十一面観音像。
かなり破損しているが、なんとも穏やかな像だ。平安末期の作という。
こんな仏像たちを一人で心ゆくまで観賞できるというのはすごく贅沢なことではないか。
(2001年08月12日訪問)