山月生花店

幅一間半の厚みの三階建てのアパート。

(宮城県仙台市若林区荒町)

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山月(さんげつ)生花店。満福寺の前にで見かけた薄~い建物。

間口が一間半しかない。

建築の専門の勉強をしなくても、日本建築が畳の短いほうの辺の倍数を基準に作られているということはほとんどの日本人は体験的に理解しているだろう。一間半ということは畳の短い幅の三倍、いわゆる四畳半の和室の幅なのである。その幅に三階建てのアパートが建っている。

一階の店舗部分のドアはアルミサッシュ三枚からなる引き違い戸でいかにも苦しい感じ。

奥行はかなりある。いわゆる“薄い建築"という路上観察のジャンルの収集対象になりうるのではないかと思う。まるで壁のような建物だ。

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周辺はいわゆる“ウナギの寝床"といわれる短冊状の土地割り。このような土地割りは江戸時代の税が街道に面している間口の広さで決まったためにできたと言われている。

ウナギの寝床などというと身じろぎも出来ないような狭苦しい建物のように聞こえるが、そこで暮らす人々は「通り庭」や「坪庭」などによってその土地の広さ以上の空間を感じさせる建築を作ってきたのだ。狭い土地に無限の小宇宙を作り出したのが“ウナギの寝床"(=町屋建築)の神髄とも言えるのである。

では、このアパートの場合はどうであろうか。中に入って確かめたわけではないのだが、おそらく下図のようなパターンを繰り返して作られているのではないだろうか。「な~んだ、六畳+三畳のアパートね。自分も学生のころにはそんなところに住んでたもんサ」と思う方がいるかも知れない。だがよく考えていだだきたい。この建物は壁構造で、部屋の長いほうの辺となる壁が柱の代わりをしていると思われる。壁構造というのは壁で建物を支えるので、開口部(窓)を大きく取ることができないのが難点だ。それでも通常なら部屋の短いほうの辺を使って開口部を作れるのだが、この建物では短いほうの辺が隣の部屋なわけだから大きな開口部がまったくないことになる。かなりの閉塞感があるのではないか。(しかももしこのような作りになっていたとすると台所付近で出火した場合、居間にいる人は逃げ場がないという恐ろしさもある。)言葉は悪いが土管の中に暮らしている感じではないだろうか。

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部屋の両側が外壁で奥の方向は行き止まり。これでは同じ六畳+三畳の間取りでも、心で感じる広さ(空間感とでも言おうか)がぜんぜん違うのだ。小宇宙ともいえる従来の町屋の作りと比較してあまりにも貧しい設計だ。

確かに現代では建ぺい率や容積率、一定の採光を確保すれば建物を建てることが許されている。だが建築基準法さえ満たせばそれでいいというものではないだろう。この建物の図面を引いた建築家は、描いていて寒けのようなものを感じなかったのだろうか。この建物での生活をどのように想像したのだろう。家は倉庫でもなければ、人間は荷物でもない。学校や職場から帰ってきて心やすらぐ場所、それが家なのだ。

私は時々すごくおかしな間取りの家に住んでいるという悪夢を見てうなされることがある。そんな悪い夢に出てきそうなアパートである。

(2001年09月23日訪問)

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