「竹林記念」と書かれている。
竹を植林したことを記念して碑を建てたのか?
いまではまったく考えられないことだ。真竹など倒れやすいし、ほんと迷惑でしかない植物だから。
だが、かつて山のバイオマスに強く依存していた時代、里山には現在のように樹がなく禿げ山だったし、竹細工に必要な真竹も貴重だったのだろう。
裏面の定礎を見ると「昭和五年馬場青年会」書かれている。
側面は東面は道しるべになっていて「脇町へ一里二十三丁、穴吹へ一里十八丁、箸蔵へ十里」とある。
西面は「土柱へ十七町、切幡へ三里十八町、撫養へ十一里」となっている。なぜかこちらの面は「丁」が「町」の字だ。
材質はRC造洗い出し。付け根の部分が折れているのは、自動車でもぶつかったのだろう。
(2005年03月06日訪問)