岩津の河港

川へ下りる石段のある河港らしい河港。

(徳島県阿波市阿波町乙岩津)

これは私が当サイトで考えている徳島県の地図だ。本当の地図があるのかもれず、異論もあるかもしれないがここは独断と偏見ということで見逃していただきたい。

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徳島県をまず大きく分けると、「キタガタ」と「ミナミガタ」と「サンブン」の3エリアがある。キタガタは吉野川の作った平野部分、ミナミガタはそれより南の海沿いの地域。それ以外は四国山地の山深い場所でサンブンである。

キタガタは大きく2つに分かれていて、吉野川下流を「シモゴオリ」、上流を「カミゴオリ」としている。

カミゴオリは二つ名を「ソラスジ」とか「ソラ」とも言っていて、急傾斜集落が多く、まるで空の中に住んでいるような家々がある場所だ。

ソラスジは私がひときわ好きな場所であり、フォトジェニックな村も多いので徳島でも特にオススメの地域なのだが、今回はそのソラスジの境界について紹介しようと思う。

徳島市の方面から吉野川をさかのぼっていくと、岩津橋という橋がかかっている。私にとってはこの橋から上流がソラスジ、この橋から下流はソラスジではないのだ。つまり、この橋からソラスジが始まる。

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きょうはその岩津橋へ来ている。

吉野川の川幅が狭くなっている場所にかかる片持ちの斜張橋で橋脚はない。

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このあたりの景観は吉野川のなかでも特に雄大で、その広々とした感じは、キタガタの文化と切っても切れない関係のように思う。

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私は利根川の沿岸に長く住んだこともあるし、幼少期の主な遊び場はその河原だったにも関わらず、あまり川を意識することはなかった。

だが、徳島市に住むと吉野川はすごく身近なものなのだ。それは、私が生活で買い物などに使う範囲にも沈下橋があって、車でその橋を渡るときには水面すれすれのところを通ることが関係していると思う。

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吉野川に沈下橋が残っているあいだは、市民はいつでも吉野川をすぐそばに感じることができるはずで、下流部の沈下橋はいつまでも残してほしいと願っている。

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さて、岩津橋である。

橋の南側は山が迫っていて、その斜面が吉野川まで落ち込んでいる。この山は種穂山(たなぼやま)といって山頂には忌部神社という神社がある。いつか紹介できるだろうか。

橋の南詰めは深い淵で、岩場がちょうどよい船着き場になっている。

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いまでも和舟が係留されているが、これは観光用のオブジェではなくて、何らかの実用のものだと思われる。

川漁師がいるのかもしれない。

この少し上流に「あめん棒」という料理屋があり、吉野川の天然物の鮎が食べられる。

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橋から見下ろすと、岩場に石段が見えた。

ここは川の港なのだ。

かつて吉野川には帆掛け舟による舟運があって、上流部の池田町までの物流の大動脈だった。

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いや~しびれる。

これほど分かりやすい河港って、全国的にも数少ないと思う。

砂質の河岸だと増水時に洗われて、どうしても遺構が残りにくいけれど、ここは岩場なのでこうして往時のすがたを偲ぶことができるのだろう。

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これは橋の北詰め。

北詰めには神社があって、河岸から神社への参道になっているのだ。

こっちもしびれるね!

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橋を渡って北岸に行ってみよう。

下流方向を見ると、河畔林が続いているのが見える。

モシャモシャして荒れ地のようだし、増水時に引っかかったゴミが点々と見えるので、一見するとあまりよい景観には見えない。

でもこういう河畔林には河畔林の生態系がある。頻繁な増水で強烈な撹乱を受けるこの場所に適応した動植物の世界なのだ。

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「河畔林を伐採して、護岸にして運動場や親水公園を造れば景観がよくなるのに」と考える人も多いかもしれないが、私にはゴミが引っかかった薮のような林もそれはそれで良い眺めなのだ。

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橋の北詰めにきた。

北詰めは岩津という集落で、言ってみればここは「港町」である。

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旅館か、結婚式場だろうか。

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河岸への道を歩く。

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川が見えてきた。

何度か書いているけれど、私はこういうふうにチラッと水面が見える風景に憧憬を感じてしまうのである。

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川へ下りる石段。

ここは荷揚げ場でもあり、旅客もあったのではないかと思う。もちろん橋が掛かるまでは渡し舟もあったはず。

この右側の家は、そうした客を相手に商売をしていたしもた屋だろう。

この風景すごくない?  個人的には充分に観光できる場所なんだけれど。観光ガイドなんかでこの河岸が紹介されたの見たことないんだよね。

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北岸には石段が2つあって、もう1つは神社の参道になっている。

ここには常夜灯がある。

常夜灯というよりも灯台ですな。

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一応町指定史跡となっている。

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この場所には忠霊塔もあった。

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神社側の石段には鳥居がある。

石段を下りた河原に面しているので、川を往来する船人にしか見えない鳥居なのだ。

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南岸の下流方向、川田町の町が遠望される。

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いまは岩津橋ができて生活も様子も大きく変わってしまった。

その主塔がいまは町の新しい景観の一部になっている。

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神社が見えた。

あれが川から続く参道のもとなのだろう。行ってみようか。

(2005年03月19日訪問)

土葬の村 (講談社現代新書 2606)

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高橋 繁行 (著)
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を30年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
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