今回の旅は友人の運転で、友人の息子も一緒だったので、あまりマニアックな場所ばかりに行くわけにもいかないのだが、途中藤岡市で源性寺という寺に立ち寄ることは暗黙の了解となっていた。それは藤岡市の西部に五間三戸の二重門が建ったという噂を聞いていたからである。
ちなみに私は大学時代に「群馬県内の楼門以上の規模の門のある寺は全て見た」と思っているので、今でも新しい楼門ができたとあればチェックしたくなるのは当然であって、友人もそのことはよく理解してくれているのだ。
寺の名前を覚えていなかったので、付近をずいぶん探し回って、やっと寺にたどり着いた。
件の二重門は、意匠や材質ともに大味で、仏教建築と言えるかどうか、ぎりぎりのラインの建築物であった。今までに見たものの中であえて似ていると言えば、山口県徳地町の物産館「南大門」であろうか。
初層の屋根の葺き方は、いままでに見たことのないものだ。材質は遠目にはわからない。
1階はRC造で、2階以上は木造という混構造である。まあ、その構造はいいとして、側面にはどういうわけか「ナマコ壁」が…。
昭和の高度成長期以降に多く作られたおかしなノリの仏教建築はバブル崩壊を経て影を潜めていたと思っていたが、これは平成時代のあらたな錯誤建築の誕生を告げるものなのだろうか。平成の初期を代表する世相といえば“度を超えたコスト削減による基本機能の破綻"であるが、このインスタントさはまさに平成時代を象徴するものなのかもしれない。
群馬県には五間の楼門は他に双林寺と笹森稲荷神社の2個所にあるのだが、いずれも標準から逸脱した奇建築であるから、この門も含めて群馬の五間楼門はすべて変化球ということになろう。
本堂は正面10間の巨大な建物。偶数の間取りなので、中央に入口を付けると中途半端な柱間ができてしまう。曹洞宗であれば入口は中央である必要はないし、またこのように大床に高欄を巡らすのではなく、本堂の入口は土間というケースが多いのだが、その文法も無視している。
本堂の左側には切妻平入りの位牌堂。
田舎の貧乏寺なら充分に本堂として成立しそうな規模の位牌堂である。
本堂の右側には庫裏。
本堂の前に庫裏があるのだから、本来であれば庫裏の大棟は本堂の大棟と直角に南北であるべきだと思うが、これまた文法を無視した切妻平入り南面の建物。しかも庫裏建築というよりはどう見ても養蚕で栄えた豪農の母屋のような造形で、およそ庫裏らしからぬ庫裏。
庫裏の前には鐘堂。
これは立派なものだ。
参道の入口には流造の鎮守堂があった。この堂も二重門と同じ業者の施工か。
境内には他に水盤舎、幼稚園があった。
源性寺は現在血気盛んに堂塔を建立しているようで、それはそれで悪いことではないとは思うが、もう少し繊細な建物を建てたほうがよいのではないだろうか。
(2005年09月18日訪問)