ミサキの土塁

土塁を巡らした農家。農家というより武家の造りだ。

(神奈川県川崎市麻生区千代ケ丘6丁目)

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香林寺の五重塔の裏口から出ると、尾根に細い車道があり、里山と田園の風景が残っている。よみうりランドから新百合ヶ丘の界隈は、かろうじて残された里山や畑が、時々刻々失われている場所だが、ここだけは時間が止まったようだ。

五重塔から西側の200mほどの道の脇は、おそらく1軒の農家の土地で、その屋敷森になっているからだと思われる。この土地は尾根があたかも岬のようになった突端に位置しているから、その家の屋号を“ミサキ"というらしい。

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道は尾根のわずか南側を通っていて、ミサキの屋敷は尾根の北側にあるので、屋敷に入るには堀切を通るようになっている。

道から見ると、ミサキの屋敷は3mほどの土塁に囲まれたようになっている。この土塁を「ミサキの土塁」というのだそうだ。

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伝説によれば、天明の大飢饉の際、この家の先祖白井治良衛門が食料を分け与えたのに感謝して、村人たちが自分たちの畑の土を持ち寄ってこの土塁を築いたのだという。

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伝説に信憑性があるかどうかは別として、昔からの大地主で名主だったのだろう。

入口から奥を覗くと、堀切の先はT字の突き当たりになっていて屋敷の様子は見えないようになっている。これは農家というよりは武家の発想であり、白井家はもともとは武士で、ここは館だったと考えるほうがむしろ自然な気がする。

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尾根の道からは隣の山にある高石神社が見える。周りを住宅に侵食され、山の頂上だけに取り残されるように神社が建っている景観は、実は横浜の郊外あたりにありがちなのだが、正直なところ気が滅入るような風景だ。

バージニア・バートンという作家の『ちいさいおうち』という絵本があるのをご存知だろうか。その絵本を思い出さずにはいられない。

(2002年01月02日訪問)

ひなび旅ひなび宿 Ⅱ(2)

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