小坂子には現在でも大規模養蚕農家が残っている。現代の養蚕では、稚蚕は人工飼料によって飼育し、壮蚕(成長した幼虫)は立体駐車場のような移動型のケージで飼育されている。施設の規模も大きく、あらゆる点で機械化がされ設備投資も必要な農業になっている。そうした農家を見ながら、一区の稚蚕共同飼育所へと向かった。
L字型の間取りで、窓も換気塔もない造りは、引田の稚蚕共同飼育所と酷似している。現在は村の集会所として使われているようで、内部ではいままさに集会が行われているようだった。
引田と比べても建物の外見には手が加わっておらず、現在でも飼育所として使われていると言われれば信じてしまいそうな感じである。
飼育棟と思われる棟の出入口。直線型の飼育所では出入口を大きく開放できる造りになっているが、この建物では出入口が小さい点に注目したい。
このような小さな出入口では、畑から刈り取ってきた桑を運び込む際に不便であろう。このことから、このタイプの飼育所では飼育棟側から桑を搬入したのではなく、別棟の貯桑場のほうに直接桑を運び込んだのではないかと想像される。
そして、そのことは飼育棟の内部が小部屋ではなく、大部屋になっているのではないかという推理とも合致するのだ。
直線型の飼育所では妻側の主出入口を開放してから桑を室内に搬入していたと考えられるが、その際に、飼育室の中を通行して反対側にある貯桑場まで移動しなければならない。小部屋型の飼育所ではムロの戸が閉められているので、主出入口を開放してもただちに暖気が洩れたり、蚕座に雑菌が入ることはないから、そのようなことができる。
大部屋での飼育の場合は、飼育室内にはむきだしの飼育箱が直接並んでいるはずだから、飼育室を通って桑を搬入したのでは飼育室に雑菌が入りやすいし、室温も管理しにくくなると思われる。
したがって、飼育棟の扉は配蚕(成長した幼虫を農家に配ること)や清掃のときにのみ使用し、桑の搬入時には、貯桑棟の扉から貯桑場に搬入したのではなかろうか。そういう構造のほうが直線型の飼育所よりも、飼育室の衛生管理面で有利なはずだ。
上写真のプレートには「セントラルヒーティングフレーム方式 昭和43年4月吉日」と書いてある。昭和40年代には稚蚕共同飼育は大部屋飼育にが推奨されていたから、この飼育所は大部屋タイプとみて間違いないだろう。
(2007年01月14日訪問)