時刻は午後4時になった。日も傾いてきたし、朝から移動し続けていたので、これがこの日最後の飼育所である。
その最後に、すごい物件に遭遇してしまった。
換気塔がなく、越し屋根を載せた小屋組み、壁は真壁の土壁という時代掛かった物件だ。
現在は人形店の倉庫になっているらしいが、使われているかどうかはっきりしない。トラックを乗りつけて頻繁に荷物を出し入れするような造りには見えない。
写真は北側の様子。母屋には窓があるが、これは宿直室の窓だろう。ここからは人の出入りはできないようだ。左側の建物は増築だが、飼育所として使われていたときにはすでに増築されていたのではないかと思う。更衣室になっていたのではないか。
西側の様子。
高窓は4個。5間目にアルミサッシュの戸口があるが、下部のタタキなどの自然さから、ここにはもともと戸口があったのではないかと思う。
北側(手前側)が貯桑場で、南側(奥側)が飼育室。現在サッシュになっている戸口から、桑の搬入をしたのではないだろうか。
さて、この飼育所で一番の着目点は、写真の基礎の部分にある土管だ。
この土管は、ムロの中で木炭や練炭などを燃やすための換気管なのである。
内部で火を使うのはこれまで見てきた電床式よりも古い形式で「
稚蚕共同飼育以前には、稚蚕は個々の農家の一室を目張りするなどして、保温しながら飼育する方法が取られていた。戦後、小部屋方式の稚蚕集中飼育システムが登場したことで、養蚕の歩留まり向上、労働時間の集約がもたらされた。この土室方式の飼育室は、群馬県の養蚕技術史を理解する上できわめて貴重な史料なのだ。
もっとも、改造して後期には電床育で運用していたのかもしれないのだが…。
写真は南側の様子。
南東には水槽とトイレがある。
隣に住んでいるおばあさんに聞いたところでも、人形店の倉庫になってからは一度も中に入ったことがないということなので、中がどうなっているかはわからない。
中がどうなっているのか気になる物件だ。
(2007年01月14日訪問)