富田町稚蚕共同飼育所

外部からダストシュート方式で地下へ桑を搬入できた。

(群馬県前橋市富田町)

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富田町稚蚕共同飼育。

富田中央稚蚕共同飼育所からの距離が近く、同じ県道に面しているので、富田中央の機能がこちらに移転してきたのではないかと思われる。

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ここも、上江木稚蚕共同飼育所と同様に昭和44年度農業構造改善事業によるものだ。昭和44年はよほど予算が潤沢に付いた年だったのだろうか。

建物の詳細な設計はことなるものの、内部で使われている飼育技術や機械化の程度などは、上江木と同一だったろう。

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配蚕口は北側に2つある。

内部は大部屋でひとつながりの空間だったとはいえ、飼育用のラック(フレーム?)は2列に配置されていたのではないだろうか。

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更衣室の入口と思われるものは東側にある。

トイレも室内。はっきりとはわからないが、浴室もあるのではないかと思われる。

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桑の搬入口は南側にある。写真の中央に見えるコンクリの箱のようなものがそうだ。上部には鉄板のフタがあり、ダストシュートのような構造で地下の貯桑場へつながっている。

この車寄せのようなところに、軽トラなどで乗りつけて、ここから桑を受け渡したのであろう。畑から来た作業者が、室内に立ち入ることがなくなり、衛生管理面でもよかったのではないか。

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内部は戸のすきまからほんのすこしだけ見えた。

奥側の半分くらいは元々作業者の休憩スペースの畳だったのではないか。

手前側にも畳の場所があるが、あまりきれいになっておらず、これはあとから集会所などに使うために敷いたものではないかと想像する。手前部分は元々は挫桑場(稚蚕に与えるために桑葉を細断する作業をする場所)だったのではないかと思われる。

注目すべきは天井になにかレールのようなものが見えることだ。

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これは、貯桑室から運び上げられた桑を運ぶリフトではないかと思われる。

リフト式の配桑装置は、昭和41年に群馬県甘楽郡で考案されたという。昭和40年代は地域での稚蚕共同飼育の日進月歩の時代だったのだろう。と同時に、それは地域での稚蚕共同飼育という作業形態としては、最後の時代になったのである。

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建物横のひさしの下には、糸網(いとあみ)がたくさん残されていた。糸網は、除沙(じょさ)(蚕座から食べ残しや糞を取り除く)するとき、カイコだけをすくい上げる用具だ。

(2007年02月13日訪問)