五代の集乳所を見たあと、近くにある郷蔵(ごうぐら)というものを見に行ってみた。
場所がちょっとわかりにくく、近くに来てからの道路標識がないため迷いながら到着。高校生のときに友人と自転車で近くを通ったときに探したのだが見つけられなかった記憶もある。もう少し案内をわかりやすくしてほしいところだ。
この郷蔵がある場所は、戦国時代にあった上泉城という城跡でもある。ここに居城した、上泉伊勢守という人物は新陰流という剣術流派の祖であり、この流派は後に柳生新陰流へと受け継がれてゆく。
現在、城跡は公民館になっていて、ボタンを押すと、上泉伊勢守の唄が流れるような装置があったのだが、ちょっと押せなかった・・・夕方だったし。
さて、これが郷蔵。建物の周辺を不自然な垣根が取り囲んでいて、写真が撮りにくい。
郷蔵は、江戸時代に農村から年貢を集めるための施設であり、後には、飢饉に供えた備蓄にも用いられたという。上泉の郷蔵は、明治42年まで穀物倉庫として保存され、関連資料なども残っている貴重なものだそうだ。
平成3年に修復されており屋根や壁は新しい。
見学といっても、ただ廻りを見るだけだし、しかも修復で真新しくなってしまっているので、あまり感慨もなく。
周囲の住宅地は、どことなく城のなわばりを連想させるような地形だった。
(2013年03月03日訪問)