ここまでのレポートの流れは「福山茶堂巡り」みたいになってしまっているが、茶堂は偶然見つけただけで、本来はこの神社が最初の訪問地になる予定だったのだ。
駐車所に車を置いて歩くと、参道は途中から狭くなる。右の道へ行くのが正解なのだが、ノボリが立っていなければこの道を進むとは気付かないだろう。
急な山道を5分くらい登ると、大きな崖が見えてくる。
周囲は薄暗い杉山で、この旅で使用していた Nikon COOLPIX 5000 では、日かげに入ると1/30秒以下のシャッター速度しか出ず、息が上がっていることも相まって写真はブレまくってしまった。
崖は石灰岩でできており、その下部はえぐれて庇のようになっている
中央に2つ社殿がつながっているが、右側が岩屋権現の本殿、左側は摂社の赤濱宮。他に2つの末社があった。
他に、休憩所、使用不能のトイレがある。
末社のひとつ。後ろに見える青黒い石がご神体だろうか。
文化財の案内板では、この崖は石灰岩の巨大な岩体が移動してきたものだという。説明を読んでもイメージが分かりにくい。勝手に解釈すると、神社が建っている赤っぽい平面の凝灰岩と、後ろの青っぽい部分が別の地質ということなのだろう。凝灰岩は火山の噴出物の地質であり、石灰岩は海底の堆積物なので、石灰岩のほうが古いはずだから、新しい地質の上に古い地質が乗っている地形と解釈することにした。
青黒い岩の左には鍾乳洞の入口があって水が流れ出ている。
中央部の丸い穴へは、特別な身支度でなくても、がんばればよじ登ることができる。
ただし完全に両手が自由にならないと危険。
内部は、ちょっとエッチな感じの空間。
案内板には鍾乳石、石筍などの二次生成物があるようなことが書かれていたが、はっきりとはわからなかった。
地底の川が奥に続いている。簡単に進めるのは洞口から50mくらいだろうか。
そこから奥も、水中を匍匐前進する覚悟があれば、けっこう奥深く進めるのかも知れない。
いつか鍾乳洞で匍匐前進するような体験をしてみたいとは思うが、とりあえず、かがまなければならないあたりで引き返した。
ところで、この地底の川にはプラナリアが棲んでいる。川が流れ出している神社の境内でも見ることができるが、鍾乳洞の中でも無数に見かけた。洞窟性の特別な種類ではなく、普通のナミウズムシだと思う。たぶん。(鮮明な写真は撮れなくて残念。)
プラナリアは基本的には肉食なので、地底の川にもプラナリアの餌になる動物がそんなにもいるのものなのか、それとも、この川は地上の別の川が吸い込み穴から地中に落ち込んだものなのだろうか。
帰りの参道から見た、谷原集落の全景。
銀色に見える屋根の母屋の形状が、この地域の民家の典型的な造りだ。茅葺き屋根にトタンをかぶせて入母屋造りにしてあり、四方に庇を回しているのが特徴だ。
ただし中央に見える赤い屋根を見ると、入母屋の妻の部分は非常に小さいことがわかる。こうした屋根は、もしかしたら元々は寄棟で、棟押さえの茅束の盛り上がった部分をトタンで覆ったために、妻が出来てしまったのではないかとも想像される。
そう考えると一番手前の銀色の屋根などは、入母屋造りだったかどうかは断言できないようにも思う。
(2002年08月26日訪問)