室田町は高崎市街から見ると、烏川の上流にある比較的おだやかな印象の田園地帯だ。ここから上流に向かうと、尾根が立ちふさがっていて、次の集落である倉渕町へは峠を越えなけば入ることができない。これから紹介する中室田町は地勢的にみて高崎市街から続く関東平野の尽きる場所なのだ。
稚蚕飼育所巡りのために古い地図を見ていると、中室田町のあたりにかなりの数の養蚕施設があるのが確認できた。
どんなすごい養蚕地帯なのかと思って行ってみると、桑畑は見当たらず、広い水田地帯になっていた。改良された農地は整然としていていかにも大規模営農に向いていそうだ。ここから見渡せる土地を、もし1~2軒の農家で耕作すれば、コメだけで黒字経営できるのじゃなかろうか。でも、もしそうだったとしてもこの土地が生み出す就業人口はわずかなものだろう。
かつて村を挙げて養蚕に取り組み、老若男女が仕事に携わったような農村の姿はもう夢物語のようだ。
その一角に倉庫のような建物があった。
想像するにこれは壮蚕飼育場だったのではないだろうか。壮蚕というのは、カイコの4齢幼虫と5齢幼虫を言い、特にたくさんの給餌が必要となる期間だ。
その壮蚕を機械化した飼育装置で大量に飼育した施設だったのではないかと思う。もっとも今は工務店の倉庫になっているようだ。いまはまだこの建物を見てもほとんど心ときめかないが、いつかこうしたこうした近代的普請の建築物に郷愁を感じる時がくるのろうか。
道を挟んで反対側にあった倉庫のような建物。上蔟室(じょうぞくしつ)ではないかと思う。
5齢幼虫の終わりに、カイコの幼虫が繭を作り始める体勢になったとき、カイコを桑の枝から分離して繭作りのためのケースに移す。これを上蔟と言い、上蔟室は上蔟のためにだけある建物だ。
看板には「昭和49年度 中室田 養蚕主産地事業 桑園知力増強施設」と書かれていた。
内部には大量の回転簇が置かれていた。
いまでも使えそうな感じだ。
(2007年05月05日訪問)
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