箕郷町は高崎市に合併される前は独立した自治体で、名城、箕輪城を擁する城下町でもある。広大な城跡はよく残っていて、散策できるようになっている。散策路の入口は5ヶ所あり、ひとつに「榛名口」と呼ばれるルートがある。
その榛名口の横に箕郷中央稚蚕共同飼育所がある。
建物は南北に2棟ある大規模な施設だ。
南側の棟から見てみよう。
斜面に建てられていて、道路側2階が宿直室、1階が半地下の貯桑室になっている。
南側から見たところ。
外観から見た感じでは年代は昭和40年の前半で、内部はブロック電床育であろうと思う。
中央の白い看板は、箕輪城の地図。この左の小路が榛名口である。
おそらく挫桑室につながる階段。普通であれば挫桑作業は清潔な白衣やゴム長に着替えて入るはずだから、このように外部から直接立ち入ることは考えにくいのだが、ブロック電床育の飼育所には、たいてい、挫桑室の両側に対象に出入口が設けられている。
この通路、どういうときに使ったのだろうか。
北側には車寄せがあり、雨天や炎天の日にも桑の搬入がやりやすかっただろう。雨の日などは、ここで桑を乾燥できたかも知れない。
南棟の配蚕口。道路から見ると裏側(西側)になる。
この配蚕口の造りを見ると、南棟のほうが建築年代がわずかに古いことがわかる。
これが北棟の配蚕口。
おそらく南棟が先に建ち、その後規模を拡大するために北棟が増築されたのではないか。2棟は同時に使われたと思われる。
これが北棟の建物。南棟とよく似ており鏡像のように車寄せがある。
地図を見ると、「甲冑工房」と書かれており、住居兼工房になっているのかもしれない。
住んでみたいとは思わないが、ブロック電床育の飼育所は、物づくりをしている人にとっては格好の物件だろうと思う。
(2010年05月04日訪問)