5月1日、時刻は9:00AM。やっと最初の飼育所を発見。ここに来るまでに2ヶ所で飼育所が見つけられず、1人の農家にインタビューし、3ヶ所目の訪問地がここ。朝が遅い私が8時台から活動するというのは、珍しいことだ。
飼育所の横には広い竹林があって、本来ならすがすがしい場所なのかもしれないが、朝の横から差す黄色い陽光が目に痛くて、テンションが下がりぎみ。ボイスレコーダーには、低音で抑揚のない声が録音されている。
建物は南北に細長くブロックとモルタルの壁構造で、小屋は軽量鉄骨。屋根は波形スレート葺き。
側面に高窓が並んでいることから、内部はブロック電床育方式だろうと断定できる。
左写真は南側から見たところ。
左写真は北側から見たところ。側面には、物置や更衣室と思われる小部屋が突き出している。
これを見て、この飼育所にはちょっとした特徴があることにすぐに気付いた。
高窓が南の端から北の端まで続いているのだ。
高窓は室(むろ=飼育ケージ)の上部にあるので、建物の両端まで室が続いていることになる。
その代わり中央のあたりに高窓がないことから、この飼育所はどうやら中央に更衣室や貯桑場があり、そこから両袖に室が伸びているのだろうと想像できる。
左写真は消毒槽。奥に見える白い換気塔は、おそらく地下室(=貯桑室)の換気をするものだろう。
建物の反対側に廻ってみると、こちらには倉庫があり、「青網」と呼ばれるナイロンの飼育用の網が朽ちていた。黒板には、飼育のスケジュールや、当番などが書かれていたのだろう。
ところで、この写真を撮ったときには気付かなかったのだが、下に見える枯れ草の束、これは胡麻ではないかと思う。胡麻は商用ルートのものはほぼ100%輸入で、国産の品物はほとんど出回っていない。農家の自家消費用の胡麻だろうか。
横の畑で農作業をしている人がいたので、断わって中に入らせてもらった。やはり、中央に貯桑場があり、室が両袖型に伸びていることが確認できた。
室は蚕箔を10段×3列格納することができる大型のもの。戸は板戸4枚による引き違い。
室の数は、南側が左右5室ずつの10室。北側は左右4室ずつの8室で、合計18室。
左右両袖型は、これまでで見た中では足門の飼育所の例があるが、あちらも新しい設備の飼育所だった。2列型よりも、両袖型のほうが新しい傾向があるかのかも知れないが、もう少し事例を見てみなければならないだろう。
下部にはまだ電床が残っていた。床部はモルタルで、床砂はなかった。
電床のスイッチは個々の室のところにもあるが、建物の中央部にも集中配電盤があった。どちらでもスイッチが切れるようになっているのだろう。
もうこの頃の電床育は、人間が温度計を見ながらON/OFFするという時代ではなく、マイコンこそ使わないものの、サーモスタットなどで自動的に温度調節ができていたはずだ。
建物の中央部。床が高くなっているところが挫桑場(ざそうば)だろう。挫桑場というのは、稚蚕が桑を食べやすいように、機械を使って葉を細切りにしたり、それを決った重量に分けたりする作業をした場所だ。
さらに進んだ飼育所では、人工飼料を使って飼育するようになったので、このような桑葉を集めたり加工したりする空間は必要なくなる。
右奥に見えるのは地下の貯桑場(ちょそうば)から桑を運び上げるリフトだ。話には聞いていたが、実物を見たのはこれが初めて。このことからも、ブロック電床育としてはかなり進んだ設備だといえる。
洗面所も、建物から出ることなく、室内から直接利用できる。
北側は畑が荒れていて、廃虚っぽいたたずまいになっていた。
これはこれで、どこか懐かしい風景に思える。
(2008年05月01日訪問)